人生

やっていきましょう

実は自分が今作っているゲームの展開はこの7.8年で何度か改変されている。初期の構想は自分の直感をどこまでも追求した作品になっていて、その時の精神状況を色濃く投影していた。つまり今よりずっと作家性のあるものだったが、大元のコンセプトである一般受けする面白いゲームを目指していたら、いつのまにかこうした要素が失われていた。

どのようなものだったかというと、とにかく自分の内側から見た世界を描いていた。話の中身からキャラクターに至るまで全部が全部子どもじみているが、そこに自身の病的な不安定さや、(少なくとも当時の自分が思っていた)哲学的な難解さを同居させようとしていた。特に不安定さが暴走していた時期だったので、それをどうにか対処しようとして結果的にそうなった。

当時に描いたものは断片的に残っているが、今の自分には描けないと思う。真似をすることはできてもそれは偽物だろう。なぜなら今の自分は自分自身を「放して」見ることができてしまっているからだ。自分の不安定さは、自分の世界の一部ではなく、もはやひとつ状態として認識してしまっている。そうした視点からは、内側から湧き出てくる表現が生まれてこない。

ストーリーとして圧倒的に面白いのは現在の方である。他人に見せられる作品と言えるのは今の作品だ。しかしそこには当時の幼さ、粗さ、高慢さ、自信のなさ、不安定さ、電波な関心の追求、狂気、必死さ、苦しさ、焦り、悲しみが存在しない。あるのは整理された過去の痕跡。