人生

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907日目

「なにがオモロイの?」という相原コージのギャグ漫画を読んだ。この漫画は著者本人がギャグ漫画の創作を試みるも何が面白いのギャグなのかが分からなくなったので、作ったギャグに対して読者から逐一フィードバックをもらい、ウケが良かった作風を自身のギャグのスタイルにしようという一連の実験的な試みを描いたものである。

相原コージと言えば精神を病んだギャグ漫画家として度々狂ったコマを散見するほどにネットでは有名だが、これまで彼の漫画をちゃんと見たことがなかった。この作品はちょうどギャグの方向性を失していた自分にとって十分興味を惹くものであり、また実際に読んでいくつか得るものがあった。

作中で著者自身の描く漫画自体はそれほど面白いものではない。笑いのツボというものは時代によって変わるものなのか分からないが、書かれた当時は2000年であり時代感覚に合わないギャグが多かった。単純に安易な下ネタと漫才が合わないだけかもしれない(しかしごく稀に本当に面白い漫画を描けていることもある)。

この漫画の面白い部分は、自分の漫画に対して辛辣なフィードバックを受けることで精神的に不安定になっていく著者自身である。読者は好き勝手な悪口を書いて著者相原コージを追い詰めていくが、そのコメント自体は大して面白くはない。実際コメントには笑えるものもあるが、この漫画の面白さのメインは読者のフィードバックを受けて著者が精神を拗らせていく様にある。単に彼の拗らせ具合がおかしいだけでなく、そこで悶えている著者自身の姿がかつて自身がどこかで感じた悩みと重なるからである。そこに自嘲的な笑いが発生し個人的には面白いと感じるのである。

この漫画を自分のこととして読んだとき、自分は次のことを学んだ。面白さが分からなくなっているときに焦って作ったようなものは大して面白いものではない。他人のフィードバックの言いなりになって作ったものは面白くない。また反対に、本当は何が面白いか分からず自分に自信がないのにフィードバックを完全に無視して自分の好きなものを作るのだと息巻いて作った作品も面白くない。

面白さとは自身の心のわだかまりを解消するために生み出そうとすべきものではない。作者が読者の言いなりになるのも、読者を完全に無視して好きなものを作ろうとするのも、自分が面白いものを生み出して救われようとしていることには変わりない。自分が救われることが目的になっているので余計に面白さが見えなくなっている(しかしこの作品のように、そこから生まれる面白さもあるかもしれない)。

面白さ、特にギャグの面白さはほとんど偶然、直感の産物であるように思う。著者が狙って笑わせようとしたものはどこか微妙で胡散臭さを感じる。仮に狙って笑いを取ったとしても、受け手が自分の思うように笑ってくれるとは限らない。

ギャグを生み出すには忍耐が必要であると思う。降ってくるのを待ち、しかし期待せず、偶然的な直感が面白さの核を導き出すのを待つ。行き詰まるときはとことん行き詰まる。しかし焦ってはならない。自分の沽券やプライド、あるいは恐怖や不安から必死に何かを生み出そうとしても、調子が悪いことには変わりない。そんな時はやはりしばらく離れて、自分の表現したい面白さが見えて来るまで自分を寝かせるのもひとつの手ではないだろうか。

読み終えた後改めて面白さとは何かと考えたがまったく分からない。しかし面白くないものはわかる。面白くない要素を極力省き、自分の表現を追求し続けていれば、いずれ面白いものが生まれてくる。そう信じて今日は寝ることにする。