人生

やっていきましょう

1210日目

過去の記憶を振り返る。高校時代自分は今以上に言葉が出せなかった。定型的な挨拶も、簡単なお願いも、何も言いだせないほどに無力だった。

そんな自分にとって、人に言葉を発するということは重大な決断だった。恐れと不安の中で、命を懸けて一言言葉を発する。結果はどうあれ、その勇気は確かに人と交信したという形で報われなければならなかった。

しかし自分の声が小さかったのか、あるいは自分を異常者として捉えられていたのか、自分の言葉が正しく理解されないことがあった。何に対してそうだったかは忘れたが、その時の絶望だけは覚えている。相手にとってはうっかりだったかもしれないが、自分にとっては命を懸けた戦いを軽くあしらわれたように映った。

この精神状態が狂気だと気づくのには長年の歳月を要した。とはいえ、こうした経験があったからこそ、自分が傷ついたということに過敏に反応し、その原因を作った人間に過度な敵対心を持つ人間の内心を察することができる。要するにその人は無力であり、繊細な自分を守るために外の人間に憎しみを持つことしかできないのである。

少なくとも高校から大学にかけての自分にはその傾向があった。自分が繊細さを盾に呪詛を吐く一部のインターネットの人間のようにならなかったのは、皮肉にも自分が自虐的な人間であったからだが、ひとつ歯車が狂えばそうなっていてもおかしくはなかった。

自分が傷ついたということについて、鈍感な人間は理解を示さない。誰かと話せることは当然であり、感情交流はできて当たり前だと考える。だからそれができない人間の内面で起こる、恐怖と不安との戦いを知らない。だから鈍感な人間がすべて悪い、自分の繊細さを察することのできない理解に欠けた人間を呪うという発想に陥りがちになる。

しかし自分が思うのは、自身の異常性というものもまたある種の加害性を有しているということだ。言葉が出てこない、表情がない、そんな人間が近くに寄ってきて「命をかけた勇気ある決断」とやらを誰かに向けたとしよう。その様子は極めて異質に映るに違いない。何を考えているか分からない人間が、自分が何を考えているかを示すサインのひとつすら見せず、仲間内の中では見られない奇妙な距離感で、何か言葉を発している。この異常さを見せられた側にも立ってもらいたい。どう考えても警戒されて当然である。

しかしだからといって、こちらがすべてを我慢し、言葉を控えよということではない。自分は恐怖と不安の中で戦っていてその勇気は正しく評価されるべきことだが、それはそれとして、自分の異常性が相手の警戒を招いているという事実にも多少は目を向けるべきだと言いたいのだ。つまり、繊細な自己を理由に一方的な被害者意識を抱くのではなく、もし他人と関わりたいのであれば、双方にとって納得のいくような態度を自分の不断な努力によって追求していく必要がある。

当時はここまで細かく考えられていなかったが、自分の中で必要最低限のことは相手に理解できる言葉、表現、態度で伝えるということを意識しはじめた。その結果、少なくとも必要最低限の情報は相手とやりとりすることができるようになった。今ではそれが自分にできるという僅かな自信がある。

被害者意識を抱かずに済むのは強者の理屈だと思う。逆境に立たされ続け、自分が思うようにいかない状況が何年も続いていれば、そうなっても仕方ないように思う。だが自分はこの不安と恐怖に対して戦って強くなる道を選んだ。それは茨の道で、自分の自尊心を修復不可能になるまで崩壊するリスクを抱えているかもしれないが、自分は辛抱強くこの問題と向き合い続けるだろう。なぜなら自分は繊細さゆえに傷ついたという言葉は誰の関心も惹かず、誰も自分の問題を解決してくれないからである。