人生

やっていきましょう

ツイッターで頭がおかしくなった知り合いがいた。その人は自分がやっていたオンラインゲームの掲示板コミュニティによく居た人で、しばらく荒らしのようなことをやっていた。

ある時この人がツイッターのアカウント名とプロフィール画像を一変させて、アニメか漫画のキャラを演じはじめた。しかしただなりきるのではなく、この世の隠された真実を暴くといった体でツイートを投稿し始めた。

あまりよく覚えていないが、いくつかの概念から数字を抽出し、その数字を演算することでそれらの関連性を示す新たな概念を導き出すということをしていた。これは単にイメージだが、Aの漢字の画数は5でBの画数は8、5+8=13だからCであると導けるというような具合だ。

当時の自分はこのアカウントから2つの異常性を感じ取った。ひとつはその投稿スピードだ。自動生成がまだ成熟しきっていない時代に、こんな調子のツイートが分刻みで投稿されていた。もうひとつはその単純さだ。物事の隠された法則を説明づけるのに彼は物理や化学といった知識からではなく、ほとんど単純な四則演算のみに終始していた。

数週間そんな様子をタイムラインで眺めていたが、ある日自分の正気が維持できなくなりミュートにした。その後しばらくしてから、アカウントが凍結されていたのを確認した。以来音沙汰がない。

そんな出来事を思い出させる出来事が最近あった。これもまたオンラインゲームの人間だが自分には面識のない人間だった。先ほどの例は酷くないが、ツイートの連投、当を得ない文章、錯乱、過去への没頭。こちらは理解が追いやすかった。その後入院したという話だ。

実は彼らと似たような症状に陥っていた過去がある。大学1年の頃まで、自分の導き出した連想には絶対的な価値があると信じてやまなかった。自分の人生で最も不安定な時期に、直感によって一筋の光明が見えるというのは自分にとって救いだった。ただ不幸なことに、その直感はほとんどこじつけにすぎなかった。

今でも覚えている。自分の学生時代の抱負を三次空間上にあるに3つの軸になぞらえていた。x軸は何であり、y軸は何であり、z軸は何であり、これらが互いに影響し合ってどうのこうのという言い分だった(単に3項目を列挙すればよかったのであり、わざわざベクトルにして示す理由がない)。その話を自信に満ちた顔でネット仲間に話したら笑われた。今思えばなぜそんなことをしたのか分からない。ただ当時の自分が、その直感を絶対的に正しいと思っていたのだ(昔を遡れば似たような例はもっと出てくるが、これ以上過去を思い出したくない)。

先に挙げた例を多くの人間は異常者だと見做す。確かに異常だ。そういうコメントもあった。ただ自分にはその異常性が我が身の経験としてなんとなく分かる。おそらく彼らは精神的に追い詰められていた。そしてその切迫した状況を自力で解決することができなかった。そうした不安定な状況の中で突然変異的な着想が生まれる。その着想は更なる連想によって強化され、それがあまりにも飛躍しすぎているので世紀の大発見と錯覚する。

自分が運よく正気でいられるのは、直感は絶対ではない(数ある条件のひとつでしかない)と学んだからだ。この学びが自分を逸脱と飛躍から救ってくれている。もし自分が、未だに自分の直感が絶対的に正しいと思い込んでいたら、おそらく自分は集団ストーカーにガスライティングをされているか、組織の陰謀から逃げるために背後を警戒する日々を送っていただろう。

自分は最近正気を失いかけている。しかしそうなったらどうなるかということは思い出す必要がある。