人生

やっていきましょう

何かについて考えたことを文章にまとめると思考が整理される。その状態で創作に臨むと不思議とうまくいく。大体2000字以上書くと意識がはっきりする。その中身はただの連想の垂れ流しではなく、何らかの問題に対する意見や分析、解決であると良い。

今日は創作の前に軽く思考のウォーミングアップをした。そこから創作に取り掛かって、すぐに壁にぶちあたった。まず先日までに作ったセリフの出来に失望した。どうにか辻褄合わせをしようとした努力の痕跡はうかがえたが、肝心の中身が面白くない。これまでの自分であればそこでメンタルが落ち込んで、別のゲームに逃げてその日は創作に触らなかっただろう。だが今日は自分の頭の中の状態と向き合うことを選んだ。

気が付いたら1.2時間経っていた。ひとつの問題について数千字書くときは大体そのくらいかかる(3時間を超える時もある)。だがそれを書き終わった後自分がセリフ作りを始めると、言葉がどんどん溢れてくる。それもつまらないセリフではなくちゃんと面白いものが次々と生まれてきた。

これは偶然だろうか。多分違うだろう。おそらく書き始める前の自分は対象について考える状態になれていない。もう少し厳密にいうならば【目的意識を持って自分の求める対象を言語化しながら、自覚的な脱線によって独創的な着想を表現に取り入れる】という創作態度の理想を自覚できていない。

この状態に自分を持っていく上でブログはウォーミングアップに適していると思う。というのは、記事を書くということが少なくとも2つの点においてセリフの考案と類似しているからである。

第一にそれが文章を書くという点で一致しているということ。セリフも文章もともに言葉を繋げて生み出す表現である。当意即妙の表現というのはなかなかでてこない。ましてそれが面白いものであるとなるとなおさらである。そこで自分の頭を言葉で埋め尽くし、言葉を発想したり連想したり、繋げたり切り離したりするという行為に慣れる必要がある。ブログはその点でいい練習になると思う。

次にアイデア発想法が近いものであるということである。自分がブログを書くときはまず断片的なテーマが頭の中に浮かんでいて、その断片がうまく繋がっていくという「予感」に従って無計画に書く。これは文章を書く上では完全に褒められたものではなく、むしろそのまま書くと文章の可読性を損ねるような悪い発想法である。しかしこの発想法が創作では生きてくる。自分でさえどこに向かうか分からない(しかしそれがとんでもなく奇抜な方向に向かっていく予感がある)状態に自分を置くことで、ストーリーがぶっ飛んだものになる。当然普通にそれをやればゴミのアイデアしか沸いてこない。しかし自分の頭が異常に冴えている時、いくつものゴミのアイデアの中から一筋の光を見出すことがある。この黄金のアイデアを発掘するためには自分の頭がベストコンディションである必要がある。自分の頭が奇抜なアイデアを出力しやすい状態に置く必要がある。自分をこの状態に置く上でブログは有用である。

自分はもう何か月も忘れていたが、ブログは惰性で書くものではない。自分の思考を整理するために自由に、主体的に使うものだ。このことを忘れないようにしたい。