人生

やっていきましょう

自分が正気であることに一体何の意味があるのかと考えた。正気であろうとすることは他人と関わる上で必須だと思うが、自分は他人と関わることがないのである。

自分が正気にこだわるのは、自分が常識的な人間であるということに安心したいからだ。自分がどこにいても、自分がそこにいてはならない理由がないと思われたいからだ。自分は正気だと思うことで、他者と関わる正当性を欲している。

しかしそもそも自分は正気なのか。自分は常識人ぶっているが、よくよく考えれば出発点は異常者だった。自分は、他人にとってのそれが自明であるように、自分の正気を信じることが出来なかった。自分は常に他人と食い違う。だから自分を偽り、他人にとっての正気を渇望したのだ。

それこそ狂気ではないか。だが自分は、自分が正気であることをやめてしまうと、どうなるか分からずに不安になる。自分を偽り続けた時間があまりに長いので、それが自分の一側面になってしまっている。自分は正気を欲していながら、別のところでは正気を否定している。自分はそれが自分であると思いながら、同時に自分でないように思われる。