人生

やっていきましょう

努力は運を高める作業、といった言葉を誰かが言っていた。テストの勉強であれ、スポーツの練習であれ、それらはすべて不確定要素の多い環境で当たりを引くための確率を高めるものにすぎない。それでうまくいく人もいればいかない人もいる。対戦ではそれがシビアに表れる。

実際のところその程度のものでしかない。自分が精神を崩してきた数々の失敗は、すべて運が悪かったという話に尽きる。今思えば相当確率の低いギャンブルをしていたように思う。それに失敗したところで妥当だという評価しか下せない。

自分の挑戦というものは、低確率のギャンブルに捨て身で特攻するようなものだった。それでたまたまうまくいったものもあれば、いかなかったものもあった。ただそれだけのことに自分の精神をかき乱されていたというのは奇妙な話だ。何をそんなに深刻に考えているのか。

初めからそんな捨て身で戦わず、宝くじを買うくらいの気分で軽く楽しんでいればよかった。自分の歪みの救済などということを考え始めてから人生が特攻になった。

ギャンブルで自分を救済しようとすればいつかは破滅する。一体何のギャンブルだったのか。自己の救済とは何か。それは自分の中にある劣等感、無力感、欠陥、不安に対する報い、それらがすべて無駄ではなかったと思える何かを得るための賭けだった。その対象は何でもよく、要するに自己を回復したかった。

結局のところそれは失敗した。自分が最も目を背けてきた事実、すなわち自己が存在しないという事実と向き合わなければならなかったからだ。それを自分は精神の挫折と呼び、未だに立ち直れない傷を負っている。

だがやはりそれは些細なことだったと思う。運が悪かった。ただそれだけである。他に意味はない。