人生

やっていきましょう

1066日目

自信は経験によって培われるということを忘れてはならない。自分の問題に対するあらゆる不安は、大抵経験不足に由来する。apexを見ると良い。3000時間も注ぎ込めば自分が何をすれば良いかが分かってくる。あるいは英語も同様である。劣等感から始まったとは言え、15年近く英語に費やしていれば簡単な英語なら分かってくる。7年かけて完成しないゲームもあるが、少なくともウディタの基本的な操作に関しては誰かに教えることができるくらいには理解している。

これらの問題に不安はない。経験が自分に自信を与えたのだ。これからapexでランクマッチをしろと言われ、新たな英語の資格を取り、新たなゲームをウディタで作れと言われてもある程度はできると言うだろう。それは自分が何をすれば良いか大体分かり、自分の責任において果たすことができる能力があると自覚しているからだろう。

一方でまったく経験したことがないこと、あるいは経験が足りないものについては不安がある。全体像が掴めず、自分にできるかどうか分からないからだ。絵を描くことの避けがたい不安はここからやってくる。しかしこの3年余、その多くを思索に費やしてきた事実を考えると、あらゆる分野の初歩についてはおそらく自分にもできるだろうと考える。これも経験に由来する。

不安など、この程度のものと考えるのが重要だ。不安は目の前の問題がその人の対処能力を超えた時に発生する。だから不安に直面したら問題を諦めるか、問題に対処できる能力を獲得すればいいということになる。そう考えると不安はいたってシンプルなことだとわかる。

よく言われるように、人間は失敗から学ぶことができる。失敗を自分の人格否定の材料にしかできないなら、失敗は第一に避けるべき問題になる。しかし失敗を改善の材料にできると考えれば、その失敗から程度を学ぶことができる。

だから失敗を恐れるなと言いたいところだが、すべての問題が失敗を許容しているわけではない。一度の失敗でチャンスが終わるものもある。あるいは挑戦それ自体が非常に深刻なリスクを抱えている場合もある。しかしそれはそれである。そのために自分は諦めるという選択肢の重要性も無視していない。時には諦めて次の目標に向かうということもまた必要である。

自分はかつて自分の目標達成のために全力を投じたという過去がある。その時は自分の成功が絶対であり、さもなければ死ぬしかないと考えていた。自分のアイデンティティをまだ見ぬゴールに全てを預け、自分を回収するためには死ぬ気で走り切らなければならないという拷問を自分に課していた(不幸なことに一度それで成功してしまったのだ)。しかしその結果、一度の失敗ですべてを失い、3年経った今でも自分を見失ったままでいる。

自分は諦めることの重要性を理解した。何かの目標に対して自分のすべてを犠牲にするという態度は間違っていた。それが自己実現であるという考えも間違っていた。諦めるということはそれほど深刻なものではない。むしろ気軽に行える選択肢のひとつにすぎなかった。一度諦めたとしても気が変われば再び取り組んでも良い。その程度のものである。

成功が自己実現の唯一の道というわけでもない。確かにそれは自分に強固な自信を与えるだろう。しかしそれはギャンブルに近く、確実に得られるというものではない。自分の失敗とはギャンブルに負けてすべてを失った時の感情に似ている。ここから学ぶべきことはギャンブルなどやめて、賢く負けを取り戻すことである。

ギャンブルをするなら後悔や不安などではなく、ギャンブルそのものを楽しむことである。成功か、さもなければ死かではなく、成功できれば嬉しい、失敗しても楽しかったから良いくらいの気構えで臨むべきだ。