人生

やっていきましょう

ストーリーを作っていると自分の話が恥ずかしく感じることがある。この感覚のために自分は推敲と修正を繰り返していると言っていい。

この恥という感覚は何なのか。自分はそれを自明のものとして扱ってきたが、そうした感覚を(無自覚なのか、あるいは隠そうとしているか分からないが)持たない人もいるらしい。

恥というのは自尊心の低さに由来する。自分のようなつまらない人間が自分の程度を正しく理解せずに自分を面白い人間だと誤解している。その誤解から自分はくだらない笑いを作ろうとするが、面白いと思っているのは自分だけであり、そのことに気づいて自分は赤面する。

これは事実だろうか。面白さというものが相対的である以上、絶対につまらないということはあり得ない。また「自分を面白い人間だと誤解している」とあるが、この面白さを抱く(評価する)主体は誰なのか。主語が自分であるなら自分の笑いで笑えているので矛盾する。そうなるとこの面白さを抱く主体は観衆ということになる。

つまり自分はいつだって自分中心の笑いを追求しているために、側から見てそれがとんでもなくつまらないものであったとしても自分では全く気づけない、ということを恐れている。この無自覚の醜態を恐れて自分はつまらないだとか程度が低いという予防線を張って自分の心のダメージを軽減しようとしている。いつしか解釈と事実の区別が曖昧となり、かくして自分はつまらないということが自明となる。

この感覚は最も古い記憶で園児の頃からある。自分がありのままの自分に無自覚でいると、必ず周囲から浮くことになる。それがトラウマになり自分を隠し自分を卑下する人間に変わったのだが、この変化は良くも悪くもあった。自分を歪ませた一方、そうすることで環境への適応がある程度可能になった。

恥という感覚はある程度備わっていれば自分の生存に有利に働く。ただそれが過剰になると、心が不安定になり何も出来なくなる。

自分はまず恥に促されて過剰に自己を卑下しがちであるという状態を正しく受け止めるべきだろう。