人生

やっていきましょう

他人に振り回されるということは他人に依存しすぎているということだ。他人の目を気にしすぎるのはそれに耐え得るだけの自分がないからだ。他人とうまくやろうと思っても相手が応えてくれないことに腹が立つのは他人に期待をしすぎるからだ。他人がこちらのことを当然分かってくれると思うのは、他人の都合の良い面しか見られていないからだ。

他人に対してひとつの明確な立場を取る。他人に期待しない。自分の意思を優先させる。選択するのは他人ではなく自分であると考える。

例えば他人が自分のことを悪く思っているとする。その結果自分のことを避けているように思うかもしれない。

だがここで、他人がそう思っているかもしれないからそう思われないようにしようと考えるべきではない。そうすると自分は相手の顔色を窺いながら無理をすることになり、またその苦労に見合う対価(すなわち未然に自己修正を行った自分に対する評価)を期待するようになる。当然周りの人間は気が付かないので、自分のお膳立ては空回りに終わり段々腹が立ってくる。

よくあるケースでは相手の前でいきなり怒りを露わにして自分がどれほど相手のことを考えて配慮しているかを怒鳴ったり、または本人がそこまで理解できずにただ不快に駆られ怒りを爆発させることがある。相手からすれば勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に爆発しているようにしか見えないのだが。

誰かに期待をする人間は、時としてこうした被害者意識を自明のものとして受け入れがちになる。そのため自分が勝手に他人に期待をしすぎているという状態を客観的に見つめることができていない。確かに他人が自分に対して敬意を示さなかったり善意に鈍感であることが感情を乱す一因となったことは事実だろうが、自分が相手に期待するという態度にも原因がある。

そこで他人に期待をしないということが大事になる。だがこの言葉は誤解されやすい。期待をしないというと全方位に憎しみを向けて自衛をするというという意味にも取れる。しかしそれは結局のところ自分の期待が裏切られるかもしれない不安に基づいていて、本当の意味で他人から自由にはなっていない。

他人に期待をしないということは、可能な限り自分の意思を優位に立たせるということである。つまり自分の行動の結果、相手にどう思われようとも構わないと思うことだ。善意と好意から人を誘った。しかし相手が迷惑に思うかもしれない。もしそうなら、相手に迷惑だと思わせておけばいい。その結果離れるならそれまでのことだ。

そんな杜撰な対応はしたくない、礼節を持ち続け敬意を示したいという思いは全く否定しない。だがその思いが自分本人の意思であるのか、誤解に対する恐怖か見捨てられ不安か、他人に振り回されてのことかを見極める必要がある。自分の良心に従いこれでよしと判断したなら、他人がどう思おうが自分はその言動を支持すればいい。

当然、このような態度を続けていればいずれ傲慢で独善的な人間になり果てる。そしてそれは自分の望むところではない。だから自分は己を優先させる一方で、自分の言動が妥当なものであったかどうかを反省する。これは自らを後から振り返って感情的に後悔せよという意味ではない。そうではなく自分の言動に相手を不快にさせるようなものがあったと気づいたら、過ぎたことは仕方がないと思い次からそうした言動を控えるということである。

いずれも自分の意思から行われる必要がある。自分はひとつの国である。自分の中の為政者として権利を行使する。当然間違いもする。だが自分の言動が他人にとって不快であるからかもしれないからといって、何もしないのは馬鹿げている。一国の主の立場にありながら国民を守るという義務を放棄し隣国の言いなりになっているのと同じだ。

時にそうすることが外交上良い場合もある。だが常に他国の言いなりになるということは、長い目で見ればその国の発展を阻害することになる。なぜならその国は他国の言いなりになるという選択しか取れないからだ。そうではなく、自分は隣国の利益になる言動も、不利益になることもできるという立場を常に取り続ける。それが重要なことだ。

他人に対して自分は近づくことも離れることもできる。賛成意見も反対意見も言える。快く思うことも不快に思うこともでき、それらを支持することができる。他人に対して自由である人間とはこのような存在だ。

自分もまた同様に考える。自分は他人に振り回されない。来るものは拒まず去る者は追わず、他人の顔色を窺って他人にとって都合の良い自分を演じ続けなければならないような強迫に駆られることはしない。自分の心の声を聴く。自分が判断し選択する。その結果起きたことは仕方ない。後で振り返る材料にする。

この地点に立ってはじめて、他人と信頼関係を築くにはどうすればいいかを考えられる。建設的な関係というのは近すぎず遠すぎず、それでいて共通の関心や目的意識があってそこに双方が合意できるような関係だ。こうした関係を築くのは簡単ではないが、もう少し多くの人間と知り合いになっておけばネットワークを築きやすかっただろうと思う時がある。

以前も書いたが、知り合いが少ないからこそ一人の人間に過度な期待を抱いてしまうのである。もし5人の知り合いがいれば1人の都合が合わずに断られてもまだ4回チャンスがある。期待はしないと言ったが、厳密に言えば期待を「分散」させたほうが良い。そうすれば期待の総量を減らすという無理をしなくても済む。