人生

やっていきましょう

1093日目

自分の考えは誰かに伝わらない。自分の言葉は誰かの納得を引き出せない。こうした他者に対する諦めが、自分を内側に閉じ込めてしまう。

自分には他者と分かり合えるという自信がない。自分の半生を振り返ると対立しか思い浮かばない。誤解や衝突、邪推や疑念がそこにはあった。それですべてが失敗した。

無理に相手に分かってもらおうとすれば、それは相手を拘束することになる。あるいは意見と意見を対立させることになる。しかし大抵の場合、自分の意見は受け入れられることはない。あるのは互いに対する無理解と、不快感だけである。

外向的な人間が概ね問題なく他者と関われるのは、彼らは相手の共感や関心を引き起こすのが上手く、また自他の内面についてではなく自分達の外にあるもので共通の話題を生み出しているからだ。

外向的な人間は良くも悪くも表面的である。決して他人の内面には踏み込まない。代わりにトレンドや自他の関心の話題を積極的に行う。彼らの交流が問題なく機能するのは、彼らが関わる人間が彼らと同じように感情的なシグナルで生きている人間ばかりだからだ。そのため多少の誤差はあっても問題なく関われているように見える。

しかし共感のネットワークを持たず、自分の内面に中心的な関心がある人間からすれば、他人とは異質で敵対的な存在に映る。彼らが誤魔化している人と人の差異が自分には分かってしまう。だから自分はより一層孤立する。

長年の努力の末に、外面の話題と共感という彼らの特徴を模倣することにある程度成功している。しかしそれは作業であり、本当に自分が満足して行っているものではない。

模倣を続けるたびに自分は外向的な人間とは根本的に違うということを思い知らされる。孤独は当然感じているが、彼らほどに他人と繋がることに魅力を感じていない。他人に対する期待よりも失望の方が大きいからだ。