人生

やっていきましょう

61日目

単語は順調に進んでいる。1日5時間から7時間無理なく勉強できており、記憶の躓きもない。

これが意味するところは長時間の学習に耐性が生まれているということだけであり、効率の良い学習ができていることを意味しない。とはいえ学習耐性というのは初学者が躓く初めの壁であり、それがクリアできたということは素直に評価されるべきだ。自分は今ようやくスタートラインに立ったのだ。

今日は勉強について少し考える。

今まで英単語を学習してきたが、英単語の記憶とリーディング、リスニングの勉強はやや異なる。前者は単純な記憶、後者はその運用が求められる。

単語と文法の勉強の目的は語彙を増やすことにある。それらは知っているか知らないかのどちらかしかない。知らなければ答えられないし、知っていれば答えられる。だから知識の習得は知らない状態から知っている状態にすればいい。

だがリーディングとリスニングは少し違う。知っているか知らないかだけでなく、その知識を根拠として誤りを見抜き正しい解答にたどり着かなければならない。いずれの場合も短時間で、効率よく答えることが要求される。つまり、知識を使って応用することが必要になる。

思えば自分は知識の応用という観点に立ったことがない。いつも行き当たりばったりだった。だから応用するとはどういうことなのか、いまいち良くわかっていない。

ふと思ったことだが、有効な学習とは過去に蓄積された妥当な戦略を模倣することなのだろうか。自分が生まれて以来、知識は当たり前のように蓄積されていた。その蓄積をひたすら学習することを教師たちは強いてきた。しかし公教育よりも私塾の方が有効な戦略を持っていた。塾通いの生徒は優れた成績を収め、そうでない生徒は落ちこぼれるという現実を見た。

しかし塾通いの人間がとりわけ深遠な思考を持っていたとは思えない。彼らは有効な戦略をただ模倣し再現していたに過ぎない。有力な思考を外注したことで問題解決に至るプロセスが先鋭化され、結果として惰性の思考にある他の生徒と差別化を図ったのだ。だとすれば有効な学習とは模倣なのだろうか。

ある意味ではそうだろう。このことを否定する理由はない。人間が必死になって何かになろうとする時、現に何かになっている人間を模倣するのは極めて打算的だ。目下の対象を分解し分析することで得られる恩恵がある。それはかつて彼らが同じように何かから影響を受けて模倣した技術の集大成であり、彼らから学ぶことで自分もその繋がりの一部となり、先代の遺産を辿ることができる。

本当のことを言えばこんな奴らは全員クソだと思っている。模倣と再現からはオリジナリティは生まれない。独自性のないコピーを見るくらいならオリジナルで済ませた方がいい。しかしそうやって突っ張った結果が昨年の挫折であり、仮に失敗から学ぶのであれば今は独自性ではなくむしろ再現性の方に目を向けるべきだ。

模倣は物事の再現に欠かせない行為だ。特に資格試験や社会人に求められるスキルはおよそ模倣のプロセスを経て再現することに重きを置いている。再現性の高い人間は有能な人材として評価される。同じ結果を出せない人間は低く見られる。

勉強も同じだ。高成績の人間は総じて勘所を押さえている。それは必ずしも自分自身で生み出したものではない。今ある知識の範囲で有効な戦略を打ち出せないのであれば、外部の有効な戦略を模倣すればいい。そうして得た有効な学習方法を記憶し次の問題解決に活かす。そうすれば自分の手元には数多くの有効な戦略が残り行動可能範囲が広がるだろう。

TOEICのリーディングとリスニングの対策をどのようにすればいいのかわからない。それを心から認めるのであれば、潔くグーグルを開き "TOEIC 勉強 方法" と検索することだ。それは決して負けではないし、自分が利する上で重要なことだ。少なくとも自分が勉強法を思いつかない時点で独創性は負けたのだ。