人生

やっていきましょう

62日目

自分は何か特別なことをやっているつもりなのか。あるいは自分が特別だと思っているのか。

自分は勉強をやっている。毎日図書館に通い単語と戦っている。帰ったら自分の気づきを日記にまとめて今後の糧にする。自分の認識をひとつひとつ整理している。

しかしそれが何だというのか。こんなことは特別なことでも何でもない。世の中にある何千何万という人間が既に実行していることだ。努力ができるというのは最も基本的な評価点でありあまり過度に賞賛されるべきことではない。

そして次にくるのが自分の頭で考え何らかの気づきを得ること、その気づきを何らかの形で生かすことだ。これも基本的なことであり、あまり評価されるべきことではない。誰だってそんなことはやっている。全然特別なことではない。

最近これらのことをひどく特別なものであると感じている。そしてそれができるということは特別であると思っていた。挫折から這い上がれる自分は特別だと。

自分はそういう奢りをここでは一切隠すつもりはない。ここはそういう内面に向き合う場だ。

特別であると感じるのはいいことだ。自尊心が芽生え前向きになれている証拠だ。しかし自信というものは時に物事を歪曲して捉えてしまう。些細なことであれ世紀の大発見のように感じられてしまうものだ。

それが今の自分だ。自分が気づいたこと、努力していること、それらはとても浅いレベルでの問題である。謙遜からでも奢りからでもない。本当にそうなのだ。試しに世界が直面しているグローバルマーケットの不安定な情勢やNASAが計画している地球外探査に想いを馳せてみるがよい。あるいは日本が直面している国内外の政治的危機の複雑さを考えてみるがいい。今この瞬間、世界中で答えのない問いに頭を悩まされながら、それでも前に進もうとしている人間たちがいる。それに比べれば、自分は労働の義務を果たさず部屋の片隅にただひきこもり、何らリスクを取らぬまま独創的なアイデアと称して言葉を並べ立て、ようやく人並みの努力ができるようになっただけだ。ただそれだけだ。この事実に決して目を背けてはならない。

最近見た映画でカジノ・ロワイヤルというものがあった。そこでは今でも記憶に残っている言葉がある。「傲慢と自己認識は違う」。自分は最も浅いところで物事を分かった気になっているものであることを自覚せよ。

その上で自分のしてきたことを評価したい。努力や気づきというものは基本的なことだがなかなかできるものではない。たとえ浅いレベルでの問題であれ、少なくともそれができているということは賞賛したい。だがこんなことは誰これに言うようなことではなくひとりで勝手に褒めておけばいい。

TOEICについていくつか調べた。文法とリスニングはある程度分かった。文法は専門の参考書を買う。リスニングは公式問題集の音声を反復する。ディクテーションとシャドーイングが有効らしい。計画の方向性が見えてきた。後日詳しくまとめたい。

問題なのはリーディングだ。公式問題集を解くことになるだろうが、これがどうすればいいかわからない。大学時代にここで躓いた記憶がある。大体は読めはするが時間が足りなくなる。注意力散漫で何度も読み直してしまう。読解のスタイルを確立してそのスピードを上げていくことが望ましい。そのために何をどうすればいいか全くわからないが、とにかく問題集で手を動かしながら考えたいと思う。

現状としては単語にまだ不安がある。文法にも手をつけてない。だから来週は全単語の復習と文法をやりたいと思う。具体的な計画は後日まとめる。