人生

やっていきましょう

632日目

虚しさは、まさしくそう思うことが容易であるからこそそのまま野放しになっていると言うこともできる。虚しさとは解釈の放棄であり、試行錯誤の末に何らかの価値を認めようとする努力を必要としない。

この容易さに自分は甘んじているという自覚があるのか。何でも虚しいことにして、自分の価値観どころか、思考まで単純にして良いのか。あらゆる対象に向けて反射的に虚しさを嗅ぎ取り表明するようなゲームは、賢しらぶった自分に反して、その実何も考えていないのではないか。

虚無への気づきはいわゆる一般的な気分ではなく、自分の場合、驚きと絶望を伴った切迫した事実への悟りに近いものだった。それゆえ自分はあらゆるものが無意味であるという確信に至った。

しかしいつまでもこの絶望に浸り続けていていいのか。自分が生きていることに意味が無いということを無条件に認めてしまったら、自分が生きるために必死に何かを考え葛藤する意味もなくなる。何かに挑戦し何かを学ぶ必要もなくなる。だから気がつけば至極単純な生き方をしていて、惰性で生きるようになる。

事実が虚無であることは、必ずしもあらゆる負荷を自分から外し自暴自棄になり野生に近い生活を送らなければならないということを意味しない。虚無でありながら、自分を複雑な問題に向き合わせても良いはずだ。

ニヒリズムの帰結が絶望的な感傷であると認めても良いだろうが、自分はまだここで折れたくないという思いもある。この思いが自分に残された最後の価値観であるとも言える。自分はこの価値観のために今生きており、この思いが失われれば自分は本当に生きる意味を失う。