人生

やっていきましょう

74日目

自分が時間の浪費をしていると感じることがある。いったい自分は何をやっているのか。精神の挫折からもう1年が過ぎた。あれから自分は決定的に変わったが、何かを成し遂げるほど成長したわけではない。ようやく重い腰を上げて手に届く狭い範囲で歩き始めたくらいだ。

あらゆることが思うように行かない人生に比べて勉強とは何と楽な作業なのか。そこには常に答えがあり自分はそれを返すだけでいい。自分は勉強が得意な方ではない。どちらかと言えばかなり苦手な方だ。しかし答えがあるのとないのとでは答えがある方が楽だ。自分はそう思う。答えのある世界では十分な整理と適切な方向づけと一定の努力で大抵のことはうまくいく。自分は無防備なまま混沌の中に突き落とされてそれを悟った。

 

今日は久々に勉強の話をする。

未だ実感が持てないが、英語を始めてからだいたい3週間が経った。恐ろしい時間感覚の速さだ。まだせいぜい1週間程度だと思っていた。

文法の勉強は順調に進んでいる。先週の失態を反省し文法中心の勉強を組んだ。今度は失敗しない。先日は5時間、今日は3時間程度費やした。2日で7割は解き終えた。

文法は答え合わせと復習込みで200問を4時間程度で解けることが分かった。集中力のことも考えると大体2日で終わる。昨日と今日は無駄がありまだ80問残っているが、大体2日と見て間違いないだろう。明日と明後日でもう一周する。

対策をこなすうちに少しばかり勘を得た。自分は選択肢を示された時、根拠のある選択肢と根拠のない選択肢を並列して考える傾向にある。そして判断に自信が持てない時は、根拠のない選択肢を優先して選んでいることが分かった。根拠のある選択肢は裏付けのない仮説だが、筋道を立てて解答に至っている。根拠のない選択肢は仮説ですらなく、偶然湧いた印象と直感によって捨てがたいと思わされたものである。当然、後者を選んだ時の方がよく間違える。

後者の選択を後押しするのは、「自分が今ここでこの選択肢を選ばなかったら、外れた場合にひどく後悔するだろう、なぜならその選択肢は自分が一度選び得た選択肢だからだ」という妄想である。この妄想は典型的であり、注意が必要だ。答えのある世界で最も重要なことは根拠を持って解答することだ。それ以外の霊感は全くの無益である。

直感は確かに重要だ。答えのない世界では一層必要となるだろう。しかし直感は問題解決とは切り離して考えるべきである。答えを求めるならば常にそこに根拠を見いだすよう心がけよ。

ここまで話を進めてきたように、大抵の問題は根拠のある方を優先させればいい。だが根拠のある答えが2つ以上並ぶこともある。主に語彙問題でそうなることが多い。この場合、自分は必要以上にどちらを選ぶか迷う傾向がある。これも先に述べた理由と同じだ。自分が一度選び得た選択を取り逃がしたくないという不安がある。

だが一旦冷静になって考えてみるといい。問題が分からないのは自分がその語彙を把握していなかったからだ。つまり自分の勉強不足が招いた当然の帰結である。いくらその語彙が分からないからと言ってコロケーションでもない限り考えるだけ無駄だ。分からなければその問いは捨てるしかない。時間は有限だ。

試験は合理的判断の蓄積によって解答されるべきである。自分が唯一重視すべきものは合理的判断の結果適切な答えを導きだせる問題「のみ」であってそれ以外のものはまったく意味がない。適切な答えを自力で導き出せる問題の正誤が自分の実力の証明なのであって、合理的判断の行き届かない所で得た得点は宝くじのそれと何ら変わりがない。いかなる場合であれ、それは「当たればラッキー」程度のものでしかない。だからこういう問題は気兼ねなく捨てることだ。こういう時こそお得意の直感で何とかすればいいだろう。ただし判断は迅速に。ギャンブルに迷う価値などない。