人生

やっていきましょう

77日目

自分の人生を悔やむことがあまり無くなった。そして自殺について考えなくなった。精神が溶けるような感覚もなくなった。代わりにすべてがどうでもよくなった。

冷静になればなるほど自分は挫折するべくして挫折したのだと実感できる。物事の認識は甘く不注意で、目標も持たず周りに流され、精神が不安定だった。努力の成果も客観的に見て芳しくない。疲労も溜まっていた。いつかは弾けるものだった。

そう思うとたかがその程度のものであるように感じられた。無謀な計画を立てた男が破綻して気が狂った、それだけだ。だから機会さえあればいくらでも立て直せると普通に思えた。粗を特定し矯正すればいい。方法はGoogleにいくらでも転がっている。

だが問題解決という点でポジティブになれている一方、その問題を解決する動機が完全に失われている。つまり問題解決をすることにもはや意味を感じなくなっている。問題解決とその業績が自分の未来の安定を築くとしても、自分はそれで何を得るのか。何もない。少なくとも以前は他人の期待に応えるために誠実に最大限の努力をこなすという動機があった。あるいは他人よりも努力して自分の実力を確認するという動機もあった。しかし今はそれもない。すべてのことに失望しているし、自分にも他人にもう何も期待していない。すべてがどうでもよくなり、人生を諦めている。

現在挫折による絶望から、すべてが無意味であるという喪失感に支配されている。そこからすべてが無意味であることをやや好意的に解釈し、行動することとしないことには同等に意味がないという前提に立ち、行動を厭う感情を無視して偶発的に湧いてくる衝動を可能な限り即行動に移すという遊びをやっている。

皮肉なことに、こうした遊びを始めてからの方が勉強を長く効率的にやれているし、以前よりも健康的な生活が送れている。だがこうした斜に構えた態度からは決して純粋な動機が湧いてこないだろう。一度すべてがクソであると認めた人間に感動はやってこない。