人生

やっていきましょう

130日目

旅の最終日。朝食を済ませて少し遅く出発した。目的地は2ヶ所。半日ずつの予定だった。予定はうまくいかなかった。結論から言うと1つ目の目的地だけで1日が終わってしまった。列に並ぶだけで2.3時間かかり、同じくらい見学に時間を浪費した。

こんなに並ぶとは思わなかった。平日なのにこれだけ見たがる人がいるというのは驚きだ。入り口の端から向こうの壁の端まで200mほどの石畳を往復した。その上100mくらい横に伸びていた。待っている間ずっとインターネットに繋がらず、イライラした。

今回の旅の最大の障害はほとんどwi-fiが使えないことだった。インターネットが使えれば検索して情報を集め、最適な計画を立てることができる。またアクシデントに遭遇した際、その場で大体解決することができる。だがインターネットがほとんど使えないとなると、頼りになるのは事前の情報、計画、予定だ。そのほとんどが自分の記憶と判断力に委ねられる。

これほどインターネットが無いことが不便だとは思わなかった。日頃スマホやPCを通じてあらゆる情報に接続されているので、情報の接続がない状態というのがひどく不安だった。重度の依存症だ。しかしこの異質な情報欠乏感覚の恐怖の歴史は、人類の長い歩みのほんの30年程度でしかない。人類は1万年もの間、限られた情報の中で生存していた。アフリカから始まり、自分がどこにいるか分からないまま移住と定住を繰り返し、ひとつひとつ人類は情報を共有し蓄積していった。

インターネットはその集大成だ。自分が生涯かけて得られないほどの膨大な知識が、検索という祈りの儀式で簡単に手に入る。言わば初めから全てのマップとスキルとアイテムを所持しているチート状態であり、スマホひとつと充電器があるだけで人類1万年の歴史がアホらしく見えてくる。

アップル社は我々に知恵の実を与えてくれたが、その反動も大きい。人間は情報なしでは生きていけなくなった。チートプレイで始まった冒険は、チートプレイを前提とするチームプレイに変容し、チートを使った更なる本格事業に着手するようになった。チートはチートでなくチートが普通になった。チートを普及する動きとともに、そうでないものは淘汰された。

チートの利便性は人間をチートに束縛し、依存させた。チートを利用しているつもりが、今度は逆にチートに利用されている。インターネットというのは、車輪や貨幣や文字に次ぐ偉大な発明だと思う。だが今ではそれなしには生きていけない。何もできない。インターネット無しではあまりに無力だ。

自分はネット無しでは何もできないということをひどく思い知らされた。まとまりの無い文章だが今日は疲れたのでこのくらいにする