人生

やっていきましょう

160日目

デスストランディングを買った。今からプレーする。久々に熱中できそうなものが見つかった。1週間はこのことだけを考えていられそうだ。

ゲームについて複雑な気持ちを抱いている。明らかにゲームは時間の無駄でありながら、自分はそれを求めている。本当はこんなことをやっている場合ではないのだが、やることで安心できている。

自分にとってゲームは何か揺りかごの上にいるような、自分が無条件に世の中に受け入れられているような感覚を想起させる。それはゲームが自分にとって数少ない思い出でもあるからだと思う。

自分は今まで様々なことを考え、何か障害にぶつかる度に自分を変容してきた。だから昔の自分と今の自分は大分異なる。その中でずっと変わらないのは、ゲームに対する好意だ。ゲームをするたびに自分は自分であると確認できる。

ただ、その好意をだんだんと信じられなくなっている。ゲームは楽しいが、何の役にも立たない。ゲームは夢を見させてくれるが、気がついて10年経ったとき、ゲームは何も助けてくれない。新たな娯楽を提供するだけだ。

自分の居場所であるゲームが実は泥沼であり、浸かっていればただ沈みゆくだけということが自分にははっきり分かっている。泥沼に浸かる時間を別のことに投資すれば、どれほどの能力が身につけられただろう。どれほどの機会が得られただろう。

しかしそれ以外に自分が自分らしいと思えるものが何もない。自分は初めから沈むにふさわしい人間なのだ。もちろん力ある限りもがこうとするだろう。何か有益な時間を過ごそうと頑張るだろう。だが最後に自分が落ち着くのは、やはりゲームなのかもしれない。