人生

やっていきましょう

161日目

自分に優位な環境を作って良いのだということを今まで知らなかった。自分は今まで不利な環境には自分の損を捨ててまで適応しなければならないと思っていた。だが実際に不利な環境に適応し続けた結果、自分の心は荒み、ついには壊れてしまった。残ったのは僅かな忍耐力と希死念慮、そして膨大な虚無である。

自分は自分の人生を生きて良いということが今でも信じられない。人生は誰かから与えられた命令でしかないというのが自分の体感だ。もちろん偏った見方であることは理解している。だがそれゆえ、自分は誰かに命じられなければ生きられないのだ。目の前に自由がありながら自分は檻の中に戻って首輪を嵌める。檻の外から誰かにどうしてほしいときかれたら、きっと自分は命令をくださいと答えるだろう。

人から言われた。だからやる。これを繰り返してきた結果、自分は自分を失った。こういう生き方に自分はある意味適応してきた。だが大学入学以降に嫌というほど見せつけられた、膨大な自由の前に自分が何もできないという現状、そして他の人間が自分の求める人生を自ら歩もうとしているという光景を前にして、自分はおかしくなった。このときはじめて、人はおおむね自分本位で生きているのだと知った。

同時にこのとき自分に憤りを感じていた。自分はあらゆる機会を犠牲にして他人の優位に捧げてきた。他人の目を気にして何もしてこなかった。だが他人の目をきにせず生きてきた人間は、着実に自分の心に芽生えた種を育てあげ、自分の人生を生きようとしていた。このことが許せなかった。自分も自分の人生を送りたいと強く願った。

でも、自分の心の中にはもうほとんど余力が残されていなかった。他人に対する恐怖心と自分の心を安定させる努力で精いっぱいだった。それしかできなかった。自分は自分の好きだと思えることを他人の目を気にして全て殺してきた。今ではもう何も残されていない。もう何も好きになれない。

心が壊れてから1年が経つ。4月から11月にかけて、自分は限られた範囲ではあるけれども、初めて自分の人生を生きた。ほとんどは以前と変わらなかった。今までの過去に対する呪いと失望、それと消えることのない虚無感だ。だが僅かに、自分の頭で考えて行動することに喜びを感じた。この種を自分で摘むことのないようにしたい。