人生

やっていきましょう

166日目

「学校で教えてもらわなかった」自分はこの言葉をよく繰り返している。自分の現在の不遇は、未然に回避する術を教えなかった教師の怠慢にあるというわけだ。対立と打算を前提とした実社会に対する防衛術ではなく、願望に近いキレイゴトばかりを教えた教師たちに責任がある。このような呪詛を吐きたくなる時がある。たとえばコミュニケーション能力、自分を肯定する方法、協調性、加害性の問題など、数えあげればキリがない。

奇妙な話だ。なぜ自分は「学校で教えてもらわなかった」ことに囚われ続けるのか。思えば人類の文化が生まれてたかだか数千年しかないが、その当時に教育と呼ばれる機会があっただろうか。誰かが誰かに情報を伝達しさえしたかもしれないが、国という特定の領域を全体的に支配している機関が、その領内で生活している人々に対して「人権」という概念を保証し、それゆえに教育の機会が無償で与えられるといった、極めて稀有なことが自明のこととなったのは、ほんの数十年、数百年のことではないだろうか。

教育というのは、誰かが有している知識を有していない者に伝える過程のことだ。それは前述した通り、決して当然のものではなく、ほとんど偶然に近いものであるということが分かっている。日本は人権という究極的には根拠が不明瞭である概念により、教育の機会が保証されている。だが発展途上国に目を向ければ、教育が浸透していないばかりか、人権意識という概念さえ共有されていないケースが多い。つまり教育とは自明のものではない。人権も教育も、無の上に立つ価値でしかない。だから自分はたまたま教育が提供されただけにすぎない。

学校や教師は神様ではない。彼らもまた人間だ。世界中の学者が教育学を研究し、学生の更なる向上に寄与するよう工夫を凝らした上で、それらを公務員がまとめ上げ、教員が方針に基づき教育を施す。当然穴がある。自分はたまたま、その間隙に足元をすくわれたというわけだ。

こういう前提に気づけなかったのは、与えられることが自明になっていたからだろう。自分が学生をやっていた時、先生は生徒に対して一方的に発言するだけだった。生徒はそれをただひたすら聞くばかりで、ぶつかり合うということはほとんどなかった。教師が生徒に発言を求めるときもあったが、生徒の側からすればすべて「仕方なく」だった。聞かれたから答える。聞かれないことについては答えない。自分の意思で答えていたようには見えなかった。

ずっとそうだった。小学校の6年間、中学校の3年間、高校の3年間、ほとんどすべてが受動的だった。だから大学でも、社会に出ても、これからもずっと、誰かが何かを教えてくれると思っていた。自分はそれを受け入れさえすればいいと思っていた。

そういう経緯から出てくる言葉が「学校で教えてもらわなかった」というものだと思う。これは聞く人によっては極めて子供じみたことのように思えるかもしれない。だが自分にとっては切実な問題だ。社会に出る上で養われるべきスキルが養われておらず、長い間放置され続け、困難と挫折に直面してようやく危機感を抱き始めたということだ。だがもう遅い。自分は既に致命的な傷を負った。回復は困難だ。だから嘆くしかない。「学校で教えてもらわなかった」と・・・。

ポジティブに考えるなら、問題が顕在化したことにまずは感謝するだろう。対処が可能になるからだ。原因は受動的な学生生活にある。解決は主体性の回復にある。そのための自己肯定感、そして願望に基づく意思決定。習慣の改善。学校で教えてもらわなかったなら、今から学べばいい。主体性を回復すれば、自分で学ぶことができる。

だがポジティブに考えられるほど、自分の傷は浅くない。これは信仰の問題に近い。今まで自分を形成し、自分を肯定するような物語が、この受動的態度に顕れていた。何者かが常に自分を良い教育を与えてくれ、良い方向に導き、そして最終的にはすべてうまくいく。そうであることをなにか自明のものであるように感じていた。だがそれが完全に消えてしまった。自分は受動的な態度によって世界から肯定されているわけではなかった。自分は主体性の不在という致命的な欠点により、また受動的であるがゆえに自己は救済されるはずだという素朴な信仰が壊されたことにより、社会から挫折した。

答えは見えている。主体性を回復し再び立ち上がること。もはやそのことだけを考えていればいい。だがそれでも、自分が「学校で教えてもらわなかった」と嘆きたくなる日は続く。自分は未だに、受け身の呪いから抜け出せていない。部屋の中で塞ぎこむ自分は、まさにその象徴であるように思う。