人生

やっていきましょう

269日目

クイズゲームに参加した。クイズは去年から知人に誘われて触れる機会が多く、何度も挑戦してきた。クイズは以前から挑戦してきて、自分の中では得意な方だと思っていた。だが今回、自分は何も答えられなかった。

問題は平易なものだった。大抵は時事的な問題で、答えを聞けばすぐにわかるものばかりだった。だが自分は完全に答えを忘れていた。そのことについて不安を覚えた。

自分は最近の出来事についてほとんど何も知らない。新聞を読むこともなく、ネットで時事を漁ることもない。社会や世界がどうなっているかということを何も知らない。自分のリアルは部屋の中だけで、それ以外の問題は存在しなかったかのように過ごしていた。

この問題は自分が考えている以上に深刻だと思う。最近の事情に対してまったく関心が湧かない。知ろうとしていない。昔の自分だったら信じられなかっただろうが、今の自分はまったくの枯渇状態にあり、意欲がほとんどないものとして生きている。以前は湧いていた危機感も、最近では機能しない。

要するに自分が精神に受けた致命的なダメージとは無関係に機能し続ける社会や情勢に、もはや何のつながりも見いだせないでいる。そういうわけでコロナウィルスだとか、今の政治の動向がどうだとか、金融危機、技術的発見、芸能人の冠婚葬祭云々をすべてどうでもいいものとして見てしまう(もちろん社会的に見れば、緊急な問題に対してはとりわけこのような態度であってはならないことだろうが)。

今回のクイズで自分の無関心が致命的なレベルにあることを実感した。精神的なストレスで感覚が麻痺しているのだろうか。カミュが言う通り、自分の一番の関心事は自分は「なぜ自殺しないか」ということだけであり、それ以外の「知っていないと恥ずかしい、社会人のための常識」にまったく興味が湧いてこない。

自分がクイズに興味があるのは、自分が過去蓄えた知識を引き出す喜びが欲しいだけなのか。もしそうならかつて自分がクイズに対して抱いていた確かな自信を、今もなお見出すことはできないだろう。経緯はどうあれ、知に対して貪欲であった当時、かりにその実力が事実誤認の思い込みであったとしても、純粋にこれから吸収していけばいいと思えたあの頃と今とでは、まったく状況が違うのだ。

ただクイズは純粋に楽しんでいる。まだ答えられないことに対して悔しさを抱くほどには健全さが残っている。だから失望はあまりしていない。これから自分の中の興味を育てていけばいいだろう。少なくとも以前のように自分で関心を殺すことはしたくない。