人生

やっていきましょう

185日目

記録をつけることに対する疑念が日に日に増してくる。自分が記録することに意味があるのだろうか。

当初の目的からすれば、記録をつけるのは自分の人生を前進させるためだった。それに何をもって前進とするか分からなかったから、自分の目指すべき方向を見定めようとする狙いもあった。

だが11月を境に自分の目的は急速に失われた。TOEICを受けることで、自分は中期的な目標を達成できる能力があるということを証明できた。またそれ以前からの習慣づけにより、短期的な習慣を持続させる能力があるということも証明できた。だがそこから先のこと、長期的なビジョンを定めて計画を立てるということがまったくできなくなった。

そこへの飛躍は自分の動機付け、自分が本心からやりたいと思えなければ不可能だった。今の自分は、自分がそのことをやっている意味が見出せなければ持続することができない。かつてはそれを耐える力があった。だが今はない。意味の無いことを続ける力が自分にはない。

少なくとも、自分が意味を見いだせないことよりは、何もしないことの方が意味を見いだせる。それは自分を休める必要があるからだ。今の自分は何もしないことに意味を見出している。

たしかに自分の中では社会復帰のための休息という動機を常に意識している。だけど本当は、自分の人生はもう既に終わってしまっていて、結局は何も変えられない、自分は致命的な傷を負った壊れものだと絶望して、すべてに無気力になっているような気がしてならない。この調子が最低でもあと1か月は変わらないという見立てがある。おそらくそれ以上続くかもしれない。

無目的の中、自分は2か月休んできた。多少の傷は癒えた。だがあまり変わっていない。やりたいことが何もない。諦めたくないという思いがあるが、結果だけを見れば、十分諦めた人間の人生を送っているのだろう。

本当に何も期待できず、何も喜びがない。ただ1日1日が過ぎていく。