人生

やっていきましょう

295日目

決断が鈍いと感じる。平時は惰性の習慣に従っていればいいが、緊急時となると適切な方向転換が求められることが多い。その時自分は前例のない問題に慌てふためき、散々悩んだ挙句に判断を放棄した当てずっぽうの選択肢を取ってしまう。世間一般によく言われる無能の代名詞である。自分は特にそうした傾向がある。

素早い決断を下せば被害は最小限で済んだことも、長らく悩み続けるうちに被害がどんどん大きくなり、既にもう取り返しのつかないことになっている。そういうことを何度か経験し、自分もどうにかその点を改善しなければならないと思ってはいるが、気が付いたら忘れていて、再び緊急事態が来るまで思い出すことがないというのが実情だ。とくに人が同じような失敗をしているのを見た時、これは自分だと思ってしまう。

決断を慣らす、ということを自分は経験してこなかった。誰からも教わらなかったし、注意されることもなかった。不安が日常茶飯事で、不安から逃れるのが常であったから、立ち向かうとか、改善するとかいう動機をついに持つことがなかった。自分がそうすると思わなければその瞬間に消えてなくなってしまう程度の思いだ。

そのことがまさに危機感を覚えさせる。自分が意識してそう思わなければ、思い続けなければ、自分は今後の人生で決断するということがないのだ。いつものように決断する、ということは決して起こらない。決断するぞ、決断するぞと思っていても、決断通りに行くとは限らない。行動まであと一歩のところで臆病風に吹かれることもある。

決断、とくに状況が刻々と変化する中でひるまず決断していくにはどうすればいいのか。多くは心理的な問題だ。重大な決断を迫られるとパニックになって適切な判断が下せなくなる。頭が真っ白になる。そして状況が緩やかに悪化していく様子をただ茫然と見ている。だからまずは一旦心を落ち着ける。不利をいきなり優勢に持っていこうとしなくても良い。無駄な足掻きでも構わない。だからいまこの状況で自分は何ができるか、これだけを考える必要がある。

たとえばAoe2で考えればどうか。相手が自分の防壁を突破してきた。自陣ではもう既に資源が枯渇している。町を防衛するのに軍備は不十分だ。あとは壊滅的な打撃を被る他にない。そのとき自分は頭が真っ白になるだろう。騎士と投石器が自分の町を蹂躙していく様をただ眺めているだけになるだろう。だがこのとき、自分は町の人を逃がすことができる。そうして同盟国の土地の中に逃げ込み、自陣を再形成し、時間をかければ再び建て直すことも可能だ。だがおそらくそれでは自分は勝ち筋が見えないのだろう。壊滅的に負けたという事実、持ち直せるとはいえ、かつてほどには再興できないという哀しみによって、立て直しの決断ができないでいる。負けたらもう負けでいいと自暴自棄になる。

決断は遅ければ遅いほど効果が弱くなる。早いうちに見切りをつけて逃げ出せば町の人は攻撃を回避することができるかもしれない。だが決断を渋って迷っていたら、防壁は突破され、機動力の高い騎士に惨殺されるのだ。自分に必要なのは、決断を早めたことで恩恵を得たという経験の数だ。自分が今できないでいること、恐れていること、それを取り返しのつくうちに対処しようと決断できれば、まだ挽回の目はある。自分の人間不信や猜疑心、コミュニケーション能力の低さ、打たれ弱さ、孤独感などは、すべて学生時代に目を背け、決断を遅らせてきた結果である。これらはおそらく取り返しがつかない。だが反対に、勉強嫌い、運動不足、生きるための最低限の習慣づけ、といった問題は多少は克服できたと思う。それは早いうちに決断し、強く行動に移してきたからだ。

注意しなければならないことは、何でも決断がはやければいいというわけではないということだ。決断をしないで様子を見ることが適切である場合もある。いずれは決断しなければならないとしても、今決断すればかえって状況が悪くなるという場合はいくらでもある。町の人を遷都させるとき、その道中に騎兵が待ち構えていたら、とりあえずは安全地帯で待機する。それと同じことで、タイミングを見計らわない決断は良い決断とは言わない。

具体的に何ができるのか。まずは準備を怠らないことだ。不安は単純に物事の準備不足から来るといっていい。何も準備しないで緊急時を迎えることは、勉強をしないで期末テストを受けるようなものだ。そこで感じる無能感、何も分からないというパニックは、事前に勉強していれば対処できたであろうことだ。

つぎに臆病にならず不安に耐える忍耐を持つことだ。これは難しいことだ。どうすればいいという答えもない。自分では改善を求めていても、それが改善に至るかどうかは分からない。努力も虚しく失敗するかもしれないし、思いがけずに成功することもある。答えの分からない問を前に、試行錯誤をするのはギャンブルに近い。だが実際のギャンブルとは異なり、成功確率を上げる方法というものが存在する。テストであれば勉強にあたる。成功確率を上げることで、何をしても失敗するかもしれないという不安は薄まる。不安が薄まれば賭けの恐怖に耐える度胸が付くかもしれない。

論点を整理すると、緊急時に重大な決断が迫られているときは、早いうちに決断した方が良いものが多い。自分はそれができていないので、決断を慣らす必要がある。そのためには、できるだけ事前の準備を怠らないこと、現時点で実際に何ができるのかということだけを考えること。そして臆病にならず不安に耐える忍耐を持つこと。これだけだ。

今自分のなかで、これが進むべき道だという確証が持てていない。今までの人生の中で失敗続きだったからだ。すべてがうまくいかないと思う方がリアルに感じられる。だが面倒になってはいけない。ここで決断を渋れば状況はどんどん悪くなる。少しでも前進して自分に余裕を持たせる必要がある。さもなければ自分の心は再び不安定になる。