人生

やっていきましょう

505日目

与えられた情報に対して適切な理解ができているか、ということに神経質になりすぎている。自分が適切な理解を持てていないということに過剰な不安を覚え、何度も自分が間違っていないことを確認してしまう。その強迫的な反復行動の対象は理性的に選択されているというよりは、自分に不安と恐怖を抱かせるものに限定されている。そのため必死になって何度も確認する割には、些細なミスを見落としがちになる。

この傾向を正すためには、不安や恐怖に飲まれないということが重要になる。不安や恐怖が起こりやすいのは、自分が何か失敗した際に、「二次的に」被るであろうダメージを過剰に想定している場合がほとんどだ。大抵それらは第三者からの叱責、人格否定、暴言などに連想される。

このとき「二次的に」被るであろうダメージに対する不安や恐怖に対処しようとするのではなく、ミスそのものに注意を向ける必要がある。問題は情報の理解が不十分だったということ、その結果ミスが生じたという、ただそれだけのことだけである。

過剰な不安によって着色された虚像ではなく、冷静に事実だけを考える。誇張された部分を切り崩し、何が問題で何を為すべきかということだけを考える。このように意識の持ち方を変えることで、ある程度の不安の暴走は妨げられると思う。

また、これまで意思決定の判断を不安に委ねてきたことは、同時に不安を抱く必要のなかった点については意識の盲点になっていたということでもある。自分は「二次的に」被るであろうダメージに対しては過剰に恐れるが、ミスをすること自体には不安や恐怖を覚えていない。事実を恐れず言えば、不安を抱かせないものについては、あまりに警戒心が欠落している。そのことが自分のミスを生み出す原因となっている。

事実に基づいて考えるということは、不安に左右されないという決意表明以上に、不安によって盲点となっていた部分に注意を払うということでもある。ともすれば自分は不安から逃れたい一心で、逃げられている状態に甘えている部分があるが、少しでも自分に余裕が生まれてきたのであれば、今まで自分が見て見ぬ振りをしてきた問題に着手すべきだろう。