人生

やっていきましょう

506日目

TED Talkを見ていたら面白い動画があったので参考にした。『我々には現実がありのままに見えているのか?』という題で、常日頃から執拗に現実と向き合い続けてようとしている自分にとっては興味深いものだった。

www.ted.com

特に関心を惹いたのは8:55辺りの部分で、「適応度はあるがままの現実に結びつかない」という点だ。「現実をそのまま見る性質は 自然選択において本当に優位性があるのか」という問題を測るために、氏はシミュレーションを用いて実験した。実験には現実をすべて見ることができる生物、一部の現実が見える生物、まったく現実が見えない生物を用意して、それぞれ資源を巡って生存競争をさせた。結果はどうなったか。

皆さんを落胆させたくはないのですが 現実を認識するものが滅びます 殆ど全てのシミュレーションで 現実を全く見ることなく ただ適応していくものだけが 現実をあるがままに見る生物を 絶滅に追いやるのです 少なくとも進化の向かう方向は 事実と認識の一致や 正確な知覚の獲得にはありません 現実を知覚することは絶滅へと導きます 

 現実をそのまま見るということは、実際にはただ適応的に振舞うことよりもずっと不利に働くという結果が出た。現実ばかりを直視していては生存競争には勝てないのだ。

この点について具体的な意見を述べることはできない。進化論については専門外であり、自分の理解はTED Talkを見て考えられる程度の教養にとどまっている。その上で個人的な私見を述べると、この感覚はほとんど直感的に正しいように思う。

自分はこれまで現実を直視し続けようと試みてきたが、そうすることが自分が生存する上で生きてきたこともあったし、なかったこともある。その違いは自分の生存に適応的なものであったかどうかという点で、生きる上で有用だった知覚のあり方はそのまま自分を生かし、そうでないものは自分を殺すような方向に働いた。

たとえば自分にとって不都合な事実を見続けるとそのことはかえって自分の生存を危うくさせたように思う。「価値」や「意味」は存在しないと考えることは極めて現実的な見方であるように思うが、しかしそれは「価値」や「意味」に基づいて日々行われ、維持されている人の営為に適応しているものではない。ニヒリズムというものはおそらく事実の投影であるけれども、その事実から適度に目を背けられる人間が生きていけるという実感が自分にはある。

自分はこれからも現実を直視し続けるべきだろうか。適応という観点からすれば、それが自分の生存に寄与するものであればそうすべきだし、そうでなければすべきでないだろう。本来、適応しなければならない法などどこにもないが、結果として適応してきた者がいま生き残っている。自分は生きる決断をした。ならば現実的になりすぎず、適度に現実的に、そして適応的に振舞った方がいいだろう。

自分は現実から目を背けられないという強迫と、現実をあまり直視せず適応することが自分生かすことに繋がるという事実との間に揺れて混乱している。この混乱をそのまま描写しようとすれば自分はおかしくなるので、いよいよ考えるのを止めて自分はゲームに逃げていることが増えた。ゲームなど、わかりやすい虚構そのものではないか。しかしその没入が自分を生かしているということで、自分は適応の力を強く思い知らされる。

 

ところでこのTED Talkは以前どこかで同じような引用をした記憶がある。数年ほど前に記録で同じ話題をして、結局同じような結論に至ったのではないか。過去の記録を確認していないので確信は持てていないが、そう考えると恐ろしくなる。自分は書き終えるまでこの既視感に気づいていなかった。