人生

やっていきましょう

792日目

咄嗟の応対を求められたときに言葉が出なくなる。事前に何をするべきか理解していても、1.2秒の間はまったく何も言い出せなくなる。

初め自分はどう発音したら良いか分からないというどもりのようなものであると思っていたがどうやらそうではないらしい。相手から質問を投げかけられたとき突然何をすべきか分からなくなり、思考が完全に停止して再起動するのに1.2秒間(もっとひどいときは更に数秒間)必要とする。これはある程度文章を流暢に吐き出せる自分としては奇妙な感覚であるように思う。なぜ自分は会話となると咄嗟に何も言い出せなくなるのか。

しばらくこのことについて考えていたが、おそらく本来その状況では意思疎通として用いられるべき言葉や思考が無意識のうちに自らの関心に上書きされてしまっていること、それによりコミュニケーションが阻害され修正するのに時間がかかってしまうということが原因であるように思う。

自らの関心とはどういうことか。例えば自分は誰かと話をしようとするときに、相手と共有している会話の中身以上に、自分が警戒している他者への不安や恐怖心に意識が奪われている。極論を言ってしまえば、何か問題が生じたとき、どのような応対をすれば自分の不安や恐怖心を抑えられるか、ということが他者との会話における関心のすべてになってしまう。

そのため何か予想外のことが生じたとき、例えば自分の言い方を間違えてしまった、相手に誤解を招きかねない発言をしてしまった、それらのことを考えていて今何を言われたか聞いていなかった。もう一度聞き返すべきだろうか、もう一度聞き返したら相手に不遜だと思われるだろうか、ならばこのまま放置すべきか、そもそも自分が今発言している内容は妥当なのか、仮にその致命的な欠点が明らかになったらどう対処すればいいのか、などという考えが一瞬のうちに頭の中に広がり、思考がオーバーヒートを起こして一瞬のうちにそれらを忘れてしまう。そして思考が完全に消えたとき、今自分が何をすべきだったかを1.2秒で必死で思い出す。

この咄嗟の修復は単純なものであれば反射的に行えるが、少し複雑なことであると思い出せないことがある(数時間経った後完全に思い出すこともある)。こうしたことがそう何度も起こるというわけではないが、他者と対面しなければならないときにしばしば直面する。

何かの精神障害ではないかと疑っているが、可能な限りはこうした状況を自らの力で切り抜けていきたい。例えば思考がオーバーヒートを起こしそうになったら、自分は今相手と対話しており、自分自身の内面的な保身について関心を向けるべきときではない、ということをひたすら思い出すようにする。そのために自分が不安や恐怖心を抱きそうになっていたら、自分は今まさに不安や恐怖に飲まれている、ということを言語化してみる。そうすることで今の状況では自らの不安や恐怖が問題なのではなく、自分が何を言うべきかが問題なのだということをすぐに思い出せる。

これは本当に重要なことだと思う。あらゆる対話において相手の関心はこちら側の不安や恐怖心ではなく、こちら側から何を共有してもらえるか、ということである。事務的な対話であれば、要求に対していかに適切な切り返しができるか、ということである。自分としてはこれほどに思考を費やして、それでも尚消えない不安について自分の全生涯をかけて向き合ってきたという思いがあるが、相手からすればどうでもいいことである。そうした関心は一人の時に向き合うべきことであり、対面時には抑える必要がある。

また思考のオーバーヒートをそもそも起こさせないという工夫も必要だと思う。そうしたパニックが加速してしまうのは際限なく自責を行ってしまうことが原因だ。自分の言い方がおかしかった、相手の発言をよく聞いていなかった、そうした問題は単純に対処すべき問題でしかなく、自責の材料ではない。だから自分は失敗に対して自分を責めないことにした。自責をしなければ自分の内面ではなく相手の話に意識が向けられるようになると思う。

また、ここで書いたことは思考の整理として自分から切り離すべきことではない。今後似たような状況に出くわしたら、ここに書いたようなことを咄嗟に行動に移せるようにする必要がある。それらを自らに強制する力はここの文章にはない。自責をしない、許容できるミスは許容する、という日頃の反射的な心掛けが重要となる。