人生

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737日目

APEXで試合に負けたあとよく死体撃ちをされることがある。とくにアリーナでチームが全滅した後にアイテムの残骸に向けて銃撃されることが多い。あまり良い気分はしないがそうした死体撃ちに遭遇する場面には既視感があった。そこで今日は死体撃ちについて少し考えた。

死体撃ちについて考察している人は多いが、自分は自らの経験から思ったことを書く。どちらかといえば思い込みに近くあまり一般化は期待できないが、単に自分がそう感じたこととして記述する。

経験上死体撃ちがどういった状況でよく起こるかというと、①勝敗が決定した段階で、②自チームの安全が保障されていて、③自分が瀕死の状態で戦闘を終えた場合である。

複数の部隊が1つの区域で混戦しているときに、1つの部隊を全滅させたからといって死体撃ちをする人はいない。なぜならその銃声を聞きつけた別部隊がすぐに乱入してくるからだ。そうした銃撃によるリスクが生じる場合には死体撃ちは起こらない。

また戦闘が拮抗しない場合には死体撃ちが起こりにくいように思う。最も頻繁に起こるのは戦闘が過熱していて、仲間や自分がダウンしたりHPが無くなりかけていた時に、形勢が逆転し勝利を掴んだときだ。この時ダウンしていたパスファインダーやオクタンが一斉に立ち上がりフルオート武器を使って死体に連射する状況があまりに多い。

これは相手が悪意を持っていてやっているのだろうか。おそらく違うと思う。死体撃ちは悪意の表明というよりは安堵の表明であると自分は考える。判断を間違えば死んでいた状況から解放された、その時の安心感を味わうために死体撃ちという行為に走るのではないか。

そう考えると死体撃ちがしたくなる気持ちというのが自分にはよく分かってしまう。自分は死体撃ちこそしないが、空に向けて空砲を連射したり、戦闘後に何度もエモートホイールを使ってセリフを連打することがよくある。それを行う状況というのも、敵が死体撃ちをするときとまったく同じである(最近ではランパートの壁を構築し、それを自ら壊すという味わい方をする場合がある)。

なぜ自分が戦いに勝った後セリフや空砲を連打するのかといえば、拮抗した戦いを制した勝利の喜びで昂った感情を更に高揚させ、全身でその喜びを味わうためである。すなわちそれは何かのスポーツで点数を取ったときに大声を張り上げたり、踊り狂ったりすることと同じ心理であり、自分はそうした行動の要因のひとつに緊張から解放されたときの安堵感があると考える。

とはいえ自分は死体撃ちを肯定する気にはあまりなれない。ゲームの向こう側にはプレイヤーがいるのであり、そうした場面を見せ続けるというのは健全なプレーであるとはいえない。スポーツマン精神が尊ばれるのも、試合の勝敗にかかわらず互いの結果を尊重し合おうと努めるからである。そうすることで無駄な諍いやあと腐れを無くすという知恵がそこにはあるように思う。

だから自分は直接害の無いセリフ連打や空砲を選んでいる。とはいえそうすることに宿る心理は、死体撃ちと同じであるという自覚を持つ必要がある。それらを止める気が無い限り、自分は死体撃ちを否定することはできないし、されたとしてもお互い様としか言えないだろう。