人生

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736日目

辞書というものは面白いものだと思った。辞書に記されている言葉は、その言葉自身を使わずに、ほとんど別の言葉に置き換えられていながら、意味をほぼ同じくする。もう少し詳しく見ていくなら、置き換えられている言葉は可能な限り一般的な言葉であり、より根本的かつ基本的な概念を容易に把握できるようになっている。

ところで自分は「かゆい」とはどういうことかということを考えていた。かゆいという状態をその言葉自身を使わずに置き換えられるのではないかと思ったからだ。しかしいくら考えてもかゆいという言葉の意味は「かゆい」であるとしか言いようがない。苦心して考えても、主に自らの身体に覚える意識せざるを得ない不快感を取り除こうとする衝動、といったところが限界だった(だがこれは不快感の中でとりわけてかゆみの不快感を説明することができておらず、不十分な定義であると言える)。

埒が明かないのでネットで調べることにした。デジタル大辞泉にはこう書かれている。

 かゆ・い【×痒い】
[形][文]かゆ・し[ク]皮膚がむずむずして、かきたい感じがするさま。かいい。「背中が―・い」
[派生]かゆがる[動ラ五]かゆげ[形動]かゆさ[名]かゆみ[名]

 これは自分も思ったことだ。だがむずむずする、かきたい感じがする、と言い表していいものかと懸念した。だがそれ以外に「かゆみ」を表現する一般的な言葉が存在しないのだ。

Wikipediaの記事も参照した。

痒み(かゆみ)とは、皮膚と眼瞼結膜、鼻粘膜に起こる、引っ掻き反射を引き起こす感覚を指す。

痒みが発生すると、むずむずとした不快な感覚(掻痒感)を感じる。

上記が医学的な定義、下部が一般的な意味といったところか。やはり一般的にはむずむずとした不快な感覚、といったような言い方しかできない。

言葉の限界が気になるとはいえ、かゆみが別の言葉に置き換えられるということが自分には驚きだった。それまで自分はかゆみはかゆみでしかないとしか思えなかったからだ。あまり深く考えずともかゆいと言えば、意味はひとつに定まり相手にもそれが伝わる。それに甘んじてかゆいということがどういうことか考えてこなかった。

しかし言葉の意味が妥当であるかを知るためには、その言葉がその言葉自身でない言葉によって置き換えられ、それでもそのニュアンスを保ち続けていられているかどうかを確認する必要がある。その参照を自ら行うのであれば苦労する。だが辞書があれば、その参照を比較的誰でも容易に行うことができる。

改めて辞書は面白いと感じるに至った。自分の言葉の意味を深く考えることが少ない自分にとって、辞書は反省の機会を与えてくれる。今後何か言葉に行き詰まったときは進んで辞書を取り出すようにしたい。