人生

やっていきましょう

857日目

夜中に目が覚めて我に返る。自分は何をやっているのか。

問題は何ひとつ解決されていない。自分が生きていることの違和感は未だ拭えない。そのことをどうにか忘れようとして、実際に忘れていた。だが明らかに自分が生きていることは奇妙なことである。

ところで奇妙でないとはどういう状態か。恐れずに言えば、それは自己の存在価値を自認できているような状態だろう。自分の人生に納得している人間は、結果がどうあれ自分の選択に信頼を置いている。だが自分には自分が生きていて良いと思える確信がどこにもない。だから自分の存在に対して違和感がある。

自分は生きるということに受け身になっている。恥ずかしいことに自分がいま生きていることを許可されたいと思っている。だが本来生きるということは利己的なものである。他人の許可を求めるべきものではない。自分が生きようと思うなら勝手に生きれば良い。

生きるということは、少なくとも自身の利己性を自ら肯定することでもある。それが究極には誰かの迷惑や不快になろうと、ふてぶてしく居座り続ける自分を、他ならぬ自分が受け入れること、それが生きるということである。自分の生き死にに他人の許可を求める時点で自分は他者に隷属している。他人はそうであるなとは言ってくれない。その必要がないと言えるのは自分だけである。