人生

やっていきましょう

906日目

自分にとって劣等感は根深い問題である。自分は多くの人間よりも能力的に劣った人間であると理解していながら、そうである現実が受け入れられていない。劣っていても良い、置かれた場所で咲けばいいとは思えないのである。

最近まではどうにかそのことを忘れようと努めてきたが、ふと現実的な問題と向き合った時、自分に不可能な壁が存在するということを自覚せざるを得なくなる。そうなると再び劣等感が沸き起こってくる。自分にとって劣等感とは呪いのようなものである。

劣等感は自身に対する要求水準が高すぎるということと、現実の地道な研鑽を怠った結果としての能力不足が組み合わさって生み出している。仮にそうであるならば自分に対する要求度合いを下げるか、その水準に見合った努力を行い続けるか、あるいは問題そのものを無視してなかったことにする他に劣等感を緩和する術はない。

しかし自分はいずれの対処も中途半端であり、今度はかえって劣等感を解消できない劣等感に苛まれることになる。こんなことではいつまで経っても劣等感は解消できない。

ふと自分は、自分自身に対する芯がないから劣等感を抱いてしまうのだと思った。自分が何を成しどの方向で人生を張るのか、その答えが自分の中にないからいつまでも学生の頃のように自分を安易に他人と比較してしまうのだ。もし自分が何をすべきか分かっており、実際にそれを取り組んでいるならば、他人と比較する暇などないはずである。

他人は他人というのは単なる方便としてではなく、そのまま真剣に考えるべき言葉だ。他人は他人の人生を歩んでいる。その人生を歩む背景には家庭環境から本人自身の潜在能力に至るまで様々な要因が絡んでいる。それらがうまく(あるいは悪く)作用して、その人の能力として現れてくる。

他人は確かに自分より優れていて、自分より劣っているかもしれない。しかしそれは自分の問題ではない。他人と自分を比較するのではなく過去の自分と比較するべきだ。自分は確かに無能な人間だが、記録をつけ始めた頃の自分ではない。自分にできることは確実に増えている。自分はこの地道な成長を自信の糧にすべきである。