人生

やっていきましょう

925日目

改めて気づいたが、無力感や焦り、劣等感などに流されて受け身で何かを決めるのと、自分で自分の方針を決めるのとではまったく違った印象を抱く。今まで自分は受け身の人生を生きてきた。そのために、自分の方針をすべて外的圧力に委ねてしまっていた。

apexでリーダーを務める場合と何を考えているかまったく分からない2PTに必死についていく場合とでその印象が全く異なるのと同様、様々な方針や判断が自分のコントロール下にない状況というのは不確実性が極めて高いものであり、またその中で受け身であり続けるというのはボロ船が嵐の中に留まり続けるようなものだ。

それらの外圧を押し切って自分で何かを決めるというのは何かに勝ったような気分になる。状況が手中にあり、しかし自分の判断と匙加減で成功にも大破にも導ける。この有力感と責任感が混ざったような感覚に自分は心が震わされる。人生を降りずに今も戦っている人間は日頃からこのように感じているのだろう。

これまでの停滞を振り返り反省した。自分は可能な限り自分に制御できる人生を歩むべきだ。あるいは困難な状況にあっても自分で制御するという気概を持つべきだ。他人には期待できない。受け身のままでは自分は不利な状況に立たされ続ける。

自分は生きる選択をした。これは無力感や焦りや劣等感からではなく、まして他人にどうこう言われたからでもなく、ほとんど自分の意志によるものだ。自分は生きるという選択下において自己を制御する権利を勝ち取った。何も分からなくなったらそのことを思い出すべきだろう。