人生

やっていきましょう

987日目

剣聖 葦名一心を倒した。このゲームのラスボスに相応しく最も厳しい戦いだったが、数時間かけてどうにか倒すことができた。

ラスボス戦が難しいと感じた点は、3回も忍殺しなければならない上に即死級の技を何度も繰り返してくる一心自身の強さもあるが、その前に葦名弦一郎を一回忍殺しなければならないという点にある。死ぬ度に異なる2つのボスを行き来しなければならなかったので、弦一郎に慣れた頃には一心で躓き、一心に慣れた頃には弦一郎に何度も倒され、また一心の対処法を忘れてしまう。それが自分の中では最も困難だった。

次に困難だと思ったのは回復薬の残量である。葦名弦一郎を含め全部で4回忍殺をしなければならない他、忍殺するごとに敵の猛攻は段々と激しくなってくるので、最後の方には薬が足りなくなってくる。薬を節約するために弦一郎は無傷、もしくは1つ使用するに留めておくのが望ましく、一心戦でも1度目の忍殺までは1度使用するかどうかに留めておく必要がある。それでようやく1度目の忍殺以降の猛攻に耐えることができる量になる。

書きながら改めて戦闘を思い返してみたが、戦闘自体は義父や怨嗟の鬼よりもやや難しいといったレベルで、2匹の獅子猿の時のような、戦闘そのものに対する理不尽さはあまり感じなかった。難しいが正攻法で勝てる相手だと思った。

弦一郎と一心は体力を削るというよりは、常に自分の攻撃を絶やさず相手の攻撃を弾き体幹ゲージを蓄積させることに焦点を当てた方が良いと感じた。実際弦一郎を無傷で倒せた時は弦一郎の体力がほとんど減っておらず、また一心戦でも体幹ゲージの自然治癒を防いでいれば少なくとも第一段階は倒せるようになっていた。

今思えば一心と対等な戦いができたのは、義父を倒し怨嗟の鬼を倒し、またストーリーに必須でないいくつかのボスを倒したことにより、十分に攻め力が強化されていたためである。もし義父や怨嗟の鬼を飛ばしていきなり一心に立ち向かっていたら火力が足りずに負けていたかもしれない。そう考えると遠回りしてでもすべてのボスを回って良かったと思う。

改めてsekiroというゲームを振り返ってみた。初めの頃は何が何だか分からず、モブ相手にも苦戦してあっさりと死んでいた。そこからまぼろしお蝶を倒した時にゲームの大まかな戦い方が分かり、葦名弦一郎との戦いで理解が確実なものになった。そこからはさまざまなボスと対等に戦うことができるようになり、一気にsekiroが面白くなった。しかし理解したということと実際に対処できるかということはまったく別である。梟戦でそれを実感し、義父戦では更にそれを痛感した。義父を倒し怨嗟の鬼を倒した時、理解を技に落とし込めることができた。それゆえ一心を倒すことができた。

これらは大体1週間の出来事だったが、自分の中では数ヶ月の出来事に感じられた。自分がapexを初めて触れた時のように、新鮮で面白く楽しい時間だった。繰り返すが、wikiや動画でボスの攻略法を調べなかったり、前情報をほとんど持たなかったことは本当に正しかった。もし自分がそれをやっていたらsekiroの面白さは半減していただろう。結局のところ、自分で考え、自分の力で勝つまでの試行錯誤の過程がこのゲームの一番の面白さだからである。