人生

やっていきましょう

1103日目

何か物語の背景となる知識について書こうとする。しかし何を書いたらいいか途端に分からなくなる。

このビークルの動力は何で、どのような機能に基づいて動いているのか、あるいはどのような政治的対立が今日のコミュニティを形成しているのか、政治のシステムはどうなっているのか、天候は、生物は、コンピューターは、宇宙工学はなど、数え出したらキリがない。

こうした専門的な知識を前提とした描写が自分はまったくと言って良いほどできていない。自分にできることと言えば、どういうわけかそうなっているという見方だけである。

自分がいま取り組んでいる創作は、圧倒的な知識不足を無駄な思索で補った、浅い見識の産物である。中高生が何も学ばず、ただ必死になって数年考え続けたとしたら、おそらく自分のような作品になる。

しかしそれが、自分の作品のどうしようもない欠点でありながら、避けることのできない特徴なのである。その浅はかさゆえに知識人に歓迎されないことへの劣等感を抱く一方、分かりやすい言葉に置き換えようとする努力が今の自分の表現を作っている。

ひとつ確かなことを書き留めておく。見栄で知識を蓄えようとすると必ず失敗する。自分を大きく見せようとして、理解の曖昧さを隠すことになる。

知識を活用する上では、まず自分がその知識を本当に必要としているかを自問する。そうでなければ代案を考え、そうであれば基礎的な情報をとにかく調べる。知識を創作に取り入れるべきかを判断する基準としては、自分の言葉で書いてみて、理解に違和感のない表現ができているかどうかを見る必要がある。