人生

やっていきましょう

960日目

創作活動をしていると、自分が惨めに思えてくる時がある。創作という活動自体が陳腐で空虚な妄想を正当化する行為であり、そんなことをして何になるのか、妄想に浸ったところで現実の自分はその誇大な幻想にまったく及ぶべくもないダニではないかと考える。

自分はもはや創作の必要性を完全に失っている。趣味ですらない。過去の自分と折り合いをつけようとして発生している義務である。それはそれで楽しいものだが、好きでたまらず続けてしまうというものではない。

ある種の人間は本当に自分の妄想を表現するのが好きなようだ。臆面もなく自己否定もなく、創作への懐疑を持たない人種というのは確かに存在する。そのことが自分にはまったく信じられない。だが自分もかつては同じように創作が好きだったはずだ。

彼らにあって自分に無いものは、自分を信じているかどうかだろう。自分を信じていないから自分の創作が空虚に映るのである。かつて自分は自分を信じていた。今はまったく信じられない。

多くの人間が自分の価値観がそうであって良いという確信の内に生きている。自己否定が高じるとこの確信が揺らいでくる。自分はこの価値観を正当化して良いのか分からず、誰かに許可を取らなければならない気がしてならなくなる。

自己否定の後遺症は一生治らない気がする。ただそれでも創作を捨てなかった自分を評価したい。義務感の強さゆえに自分は一文の足しにもならない古い昔の遺物を完成させようとしている。ガウディ亡き後のサグラダ・ファミリアの如くいつ完成するかも分からない無謀なプロジェクトに取り組み続けるのは、自己否定を逃避や怠惰の言い訳にしたくなかったからだ。それこそ自己否定の本来あるべき姿であり、自分が創作を通じてそのように自己否定の捉え方を修正できたのは実に尊いことである。

その上で自分を信じられることができればなお良い。最低限面白いものを作ろうとするならば、自己否定や義務感だけでなく、自分の作る面白さに自信を持つべきだ。