人生

やっていきましょう

1142日目

反応的な表現というものがある。例えば誰かがバカと言ったら「バカという方がバカだ」と返すようなものである。

ネットには似たような表現がいくつかある。誰かが意見を言えばそれはただの感想だとか、データがあるのかと返す。率直な言葉には「でもお前は@@(ここには話題と関連する話者の不利な属性が入る)だろう」と人格否定をする。こうした言葉は相手の言論の欠陥をもってその中身を封殺するためにしばしば用いられる。これらを反応的だと感じるのは、その言葉の意味を重々理解した上で発せられるものというよりは、何も考えず反射的にその言葉を返しているように見えるからである。

このような言葉で溢れているネットを見ると、言葉のやりとりが一種のゲームのように感じる。相手を黙らせることが正義となり、純粋な意味で議論や意見を交わすということは二の次になっている。

これらの是非はさておき、自分はこうした現状をあまり面白くないと感じている。それらの「有効な」言葉はネットの誰かが生み出した言葉であり、自分自身の言葉ではないからだ。

自分にはこれらの言葉が単なる反応の再現に見えてしまうのである。どこへ行っても匿名の群衆が同じような言葉を繰り返すばかりで、そこに独自性も発展性もない。ただ機械的に定型句を投げて相手を封殺した(と思っている)ことに満足を得ているように思えてしまうのである。

こうした定型句を完全に否定しているわけではない。そうとしか言えない場面はいくらでもあるだろう。しかしバカの一つ覚えのように型通りの言葉しか吐けないというのは端から見ていて面白くないと思う。