人生

やっていきましょう

1180日目

挫折、失われた過去、過去の失敗と後悔、それらのことを考えると不安になる。そしてそのために自分には選べる道が存在せず、あとの人生はただひたすら坂を転げ落ちるだけだとしか思えない。こうした思考に陥ると自分は眩暈と動悸がして「自分はどうして自殺をしないのか」という問いに再び立ち戻る。

あれから自分は何も変わっていない。自分には自殺をしない理由がない。生きる希望を持とうと努力はしているが、結局は無為に終わる。無理に自分は死なないと言い聞かせているという自覚がある。数年前から既に自分は自分を放棄している。だから自分にとって自殺をしないという制約が、本当に自分の意志の産物であるようには思えないのである。ただ自分に強いた無理がある。その制約の為だけに生きている。

自分は、自分が自分に満足して生きられるならば、自殺をしようとなどは考えなかったと思う。ただその自分が何だったのか、今の自分にはもう分からない。他人に無理をして自分を抑えつけてきた過去が長すぎて、自分は自分の意欲すら満足に自覚できなくなってしまった。

社会は相も変わらず自分を肯定しようだとか、自分の強みを生かそうなどと喧伝する。そうした能力があって、そんな自分を信じられる人間にとっては今の時代は生きやすいだろうと思う。そんな人間に自分もかつてはなろうとしていた。しかしそうなろうと努力すればするほど、自分という人間の空虚さ、他者にただ屈するだけだった自己という過去が浮き彫りになっていく。それが苦しい。

自分は自分の満足する人生を送ろうとしていても、究極的には「誰かの判断に従う」という選択しか取れない。自分の意欲が持てない、誰かの意欲の補佐にしか回れない、そんな自分が自分らしさを求めたところで、何も見いだせないのは当然である。今から変わればいいというが、どう変わればいいのかも分からない。幼稚なことを言っているようだが、本当にそうだから仕方がない。

だから自分を求められるシーンに立たされると、自分は何も言えなくなる。文字通り、言葉が口からでなくなる。なぜなら自分の人生とは抑圧の連続であり、他人に従うしかなかったからだ。自分の意見を言って肯定された記憶がないからだ。育ちの良い人間は自分らしさを保ち、自分に確かな自信を持っている。彼らの自立心と前向きさに自分は嫉妬する。彼らは自分が存在していて当然であると信じ切っている。自分にはその存在に対する自明さが欲しかった。

これらを言い訳に自分がこれから先すべてを投げ捨て余生を生きるつもりはない。何かしら自分を変えねばならず、暗い過去を克服しなければならないと思う。自分が存在しないという欠陥、それを克服するために自分は自分で意欲し、自分で決断し、自分で成功したという経験を身に着けなければならない。仮に自殺しないのであれば、そうする他に無いと思う。