人生

やっていきましょう

1184日目

中高時代の夢を見た。夢の中でも自分は言葉が出てこない異常者だった。しかし当時は今よりは良かったかもしれない。自分にはまだ期待するだけの未来があった。

言葉が出ないという問題が自分の人生を大きく狂わせた。今では多少改善したが、その後遺症はまだ残っている。何も不安に思っておらず、普通に話そうとした時、自分は何度も言葉に詰まってきた。

この状態はapexで敵部隊に詰められている時とまったく似ている。突然自分の意識の外から想定外の攻撃を浴びせられ、自分の思考は硬直し、意識が混乱する。

ここから分かる通り、自分の会話不全は不注意の産物であることがわかる。話そうとして話せないのではなく、それまで別のことを考えていて、急に予想外の会話を求められるために話せなくなる。

また会話の情報量を調整することが下手である。何か質問をされた時、自分は出来るだけ思いつく限りの情報量で話そうとする。自分は会話というものに対する要求水準をあまりに高く見積もりすぎている。そのくせ何ら準備を行わないものだから、予想外の事態というものだらけになる。

まず意識すべきことは、書く時のように話すべきではないということだ。話す時はとにかく情報量を減らす。要点だけを発言する。そして何を話すか予め準備をしておくこと。自分は話に対して準備をするということを嫌ってきた。しかし明らかに何をすれば良いか分かっている状態の方が言葉が詰まることがない。当然である。自分の会話不全は想定外の事態に対処できず起こるからである。

ある種の会話にはこの想定外の連続を楽しむ傾向がある。むしろこれこそ会話の本質に近いものではないかと思う。そう考えると自分の準備や要点といった注意は会話というものに反した動きであるかもしれない。しかし自分はそのために何もしないわけには行かない。自分には楽しむ余裕がない。とにかく自身の不注意と完璧主義、そして警戒心を改善し、会話を成立させないことには何も始まらないのである。