人生

やっていきましょう

1209日目

自分が本心ではそう思っていないのに、相手に迷惑をかけまいと嘘をつく。こうした無理が重なって、相手はなぜ分かってくれないのか、察してくれないのかと憎しみや怒りを覚える。

こうした経験はよくあることのようで、インターネットでもこのことに度々苦しんでいる人を見かける。自分もそんな悩みを抱いていた人間だが、結局のところ、人に察してもらうことを期待する方が愚かだという結論に達した。人は直接伝えなければ分からないのである。

相手を察することは難しい。他人に勝手に期待をして振り回される自分だって、いざ他人の感情が分かるのかと言われれば何も言えなくなってしまう。これは能力の問題に限らず、意志、意欲の面でも難しい。誰かの感情や都合を察してやろうと思うことは、その相手に対してそれだけの思いやりがなければならない。自分はどれほどの人間の都合を考えられているだろうかと考えれば、ほとんど0に近いことが分かる。

人は大抵自分のために生きている。そして多くの場合、他人の都合や感情を察することはない。それは必ずしも悪意からではなく、単に他人の感情に注意のリソースを割くことが面倒なことだからだ。こう考えてから、自分の感情や都合を思いやらない人にあまり怒りを感じなくなった。不思議なもので、こうした無理解に対して神経質になっていた頃には、他人の行動のひとつひひとつが自分を省こうとする悪意であったり、意図的な無視といった消極的な加害行為であるように思われていたが、今では単に相手の都合が悪いだけだと思えるようになった。

無能で説明できることに悪意を見出すな、というのは自分の中ではもはや金言となっており、この言葉の意味を日々実感する。平静さを保ち、何事にも悪意を見出してはならない。