人生

やっていきましょう

1223日目

自分の創作の動機は直感的にクリティカルな一打が出せるかどうかというところにかかっている。直感的に、というのが重要である。自分には博打なところがあって、緻密にコツコツと計画を立てて優れた作品を生み出すという人間ではない。どうにかして一発でも大当たりが出れば良いという考えである。そんな人間だから、この数十年自分の人生は滅茶苦茶である。

この一発を生み出そうと人生を棒に振る人間に自分は共感する。結果の如何にかかわらず、自分はその本性持つ人間を肯定する。というのも、彼らは直感というギャンブルが見せる驚くべき想像の飛躍についてよく知っているからである。

独創性を追求する人間なら誰しも、この飛躍について一度は触れたことがあるように思う。作家にとって表現とは再現すべきものではなく、創造するものである。前例をいくつか参照しつつも、最後は自分の手で生み出したオリジナルを生み出さなくてはならない。少なくとも自分はそう考える。

だがこの創造の追求こそ、多くの人間の人生をつぶしてきた張本人である。自分を含め大抵の人間などそうそう面白いものを作れるものではない。ある程度の努力は実を結ぶが、結局のところそれが面白いかどうかは博打で決まる。

こんなことを繰り返していたら、前途は見えず、何が正解かわからず、途方に暮れてしまう。だから賢い人間は、若いうちから未来を見据え、下手な博打はせず、安定した生き方を考える。自分は今でもそれが正解だと思うし、それができればよかったと思う。しかし自分はその才能がなかった。若い頃は無理をして自分の修練に励んだが、人間というのは自分に不向きなことを長年繰り返していると狂うようである。

改めて思うが、自分は論理や思考の人間ではなく直感の人間である。以前はそれを思考の放棄であったり、怠惰である自分への言い訳と思い込んでいたが、それが自分のスタイルに合っている。問題はその直感をどう機能として生かすかということである。直感に導かれるままに生きていたら、多くの博徒のように破滅の道を歩むことになる。

重要なことは自分の特性を理解し、それをどう生かすかである。自分は直感型の人間であり、アイデアは自由な発想から広げるタイプの人間であり、その行く先は連想のみぞ知る人間であるが、それはそれとして、その特性では補いきれない問題、たとえば毎日のルーティンをこなすことであったり、自分の直感の外の出来事を無視してしまいがちな傾向についてなどは常々自覚する必要がある。