人生

やっていきましょう

自分は次の2点についてまったく意識を向けていなかった。すなわち、人は自身の経験、学習によって得たもの以上のことは理解も想像もできないということ。そしてそれらの見識は、方向さえ間違えなければ、後の努力で修正可能であるということ。

現状、自分が無能であるという確信を裏付けているのは、圧倒的な自身の経験不足と学習不足である。そしてその期間があまりに長かったために、この理解度が永遠に続くものと思い込んでいる。しかし例えば、9月に始めたMMORPGはほぼ毎日参加して3か月にもなるが、自分のレベル帯までの基本的な情報に関してはほとんど理解している。1レベルから200レベルまでの適性狩場は諳んじて言えるし、何をどうすれば金を稼ぐことができるのかがわかっている。ここまで自分が学習できる人間だとは思わなかった。これははじめてAPEXに触れた時にも感じたことだ。

これはゲームに限った話ではない。例えば自分が絵を描くことに未練があるならば、さっさと紙を開いて書き始めればいいのだ。それが下手だと思えば先人の知恵から学び、自分の求める表現の方向性を毎日追求し続ければいい。あるいはストーリーやセリフを考える際に限界を迎えているならば、どうすれば面白い表現ができるかを学べばいい。それによって得られるものは必ずしも大きいとは言えないだろうが、行き詰った思考には変化が生まれるだろう。

学習するということを自分はまったく理解していなかった。一部の天才でなければ、誰であれはじめは誰もうまくできないのだ。このはじめは誰だってうまくできないということの想像力が自分には欠けていた。そしてそれが永遠に続くわけではないということも。問題はそこからどう動くかということだ。

自分の学習を妨げている大きな要因が少なくとも2つはある。ひとつは学習に対するネガティブな妄想だ。自分は隠したがっているが、本来自分は人より賢くない部類に入る人間だ。そうした傾向に対する強烈な劣等感でこれまで生きてきたから、ある程度は学習できたこともあるが、この本質を直視することを自分は恐れていた。とにかく挑戦が怖い。人に無能だと怒られるのが怖い。自分の見識が狭いということが明らかになるのが怖い。こうした恐怖心が学習にたいする意欲を削いでしまう。

もうひとつは目的の達成以上に、学習の過程を楽しんでしまっているということだ。例えばMMORPGで自分は効率的な経験値稼ぎを行っていない。本当に効率的なレベル上げを行っていたら自分は1,2ヶ月かそこらで250lvに到達するだろうと思う。それをやらないのはプレイヤーイベントの方に気が向いたり、強化アイテムを買うための金を求めたり、ボス狩りに専念したり、あるいは単純に現実や創作に充てる時間が必要だとか、とにかく他のことが気になっているからだ。他のことも大体そうだ。自分は目標の最短距離を目指したり、何かを深化させる動機を持っていない。目標に至る道中に気を取られる多くのものに意識を奪われているという状況だ。

そこで自分は次のことを考えた。まず学習を妨げる自身の恐怖心についてだが、自分は既に失敗を恐れる理由がないということを自覚する必要がある。なぜなら自分には誰も期待していないし、自分が何をしていつ死んでも構わないからだ。おそらく自分がこれから何度も失敗し、何度も挫折するに違いないが、それを落ち込む理由がない。なぜなら自分は初めから無能だったのであり、本来失敗によって失われる自尊心は何もないからだ。自分が守ろうとしているものは虚飾の自尊、自分を大きく見せようとしていた自分を本来の自分と誤認して見えていたものであり、そんなものは即刻捨ててしまって良い。その先に等身大の自分が現れ、そこから初めて自分が歩みだせるということを認めなければならない。それを認めるだけの時間を自分はもう十分に過ごしてきた。

次に目標に対して過程を楽しむ傾向についてだが、これは別に無理やり変えようとする必要はないと思う。動機がそもそもないからである。注意しなければならないのは、そうした過程を楽しむ傾向が単純な好奇心ではなく、自身の現実逃避の表れである場合である。もしそうだったら、自分は目標を最後まで意識して取り組むことがいつでもできるようにしておかなければならない。

これらの気づきを空論のまま終わらせてはならない。具体的な行動へと落とし込み、自分の停滞を打破する必要がある。またブログも何かに対する具体的な記述に変えていく必要があるように思う。はじめは難しいだろうが簡単なことからはじめていきたい。