人生

やっていきましょう

1193日目

自分にとって都合の悪い情報を直視することにある程度の耐性がある。それは痩せ我慢というべき自分の人生に更なる無理を強いてきた中で培われたものだが、そのために自分は幸福に恵まれない人間になった。

とにかく自分は頭が悪く、運動もできず、趣味もそこそこ、人脈はなくスキルもない、どうしようもない人間であるとしか思えない人間である。それが誰と比べてとか、どの程度までという具体的な面からではなく、絶対的な無能という前提から自分を捉えている。

この点で自分は思い込みに支配された人間であることが分かる。しかし、自分という人間を語り尽くす言葉が、悉く自分が無能であることの証明にならなければならないというのは間違っている。自分にはできないこともあるができることもあるのである。例えば息を吸い、二本足で歩き、食べることができる。

茶番に聞こえるかもしれないが、こうした自分に見落としがちな小さな問題を、初めからなかったものではなく今この瞬間に存在するものとして徐々に捉えることができれば、自分の絶対的な無能感は薄れていくと思う。

自分の課題は、自分の絶対的な無能感を相対的に位置付け、自分に可能なものと不可能なものを分類することにある。かつて自分は自分という存在を、自分の不可能さによって定義づけていた。自分に関連するあらゆる要素が自分の無能性と関連づけられ、ついには自己が無能という観念そのものになってしまっていた。

しかしそうではなく、多くの人間がそうであるように、もっと自身の可能性に目を向けるべきなのである。自分は絶対的な万能でも絶対的な無能でもない。自分は可能と不可能の両方を各々の程度で持つ人間である。その程度こそ自分を定義するものであり、それを知るためにはあらゆる妄想を振り払い、出来るだけ自分を正確に見つめようとする他ないのである。その上で自分に可能なものを自尊の根拠とし、自分という人間を生かす動機にもなる。