人生

やっていきましょう

先日のボスの話題について少し書く。このボスはMMORPGの中でもトップクラスに難しいボスとされていて、ゲームに慣れてある程度装備が揃ってきた中級者が上位層に食い込むための関門として立ちはだかる。これ以降のボスは大抵ギミックが難しいものばかりになり、これをクリアできないようであればエンドボスの討伐は難しいだろう。

自分は最近このボスを野良で募集するということを進んで行っている。このボスの募集を見ると大抵「ギミックが分かる方」という注意書きが書かれている。PTメンバー全員が「死なないで」ギミックを突破しないといつまで経っても先に進めないからだ。したがって初心者に対して敷居が高い。

自分はそのため長い間このボスに挑むことができなかった。ギミックを分かっている経験者になるためには何回も死んで練習を積まなければならない。しかし練習ができる機会というのが囲いのギルドで引率するくらいなもので、ソロで活動している人間にはまったくその機会がなかった。練習モードはあるけれども、それができるほどの火力のある人間はそもそもパーティにやってこない。

自分はソロで討伐できるほどの火力がなかったが、この練習モードを使って行けるところまでのギミックを何度も練習した。毎日数時間はやって、一週間経ってようやくギミックを理解したと言えるようになった。ここで自分はPT募集に参加することもできたが、自分は敢えて初心者向けの募集をかけることにした。何も知らない時の自分を拒絶した「ギミックが分かる方」という文言が憎かった。

それでギミック練習、初心者歓迎、行けそうならクリアという文言で広く募集した。自分の予想に反して意外とこの募集に来る人間が多かった。これまで何度か募集をしてきたが、大体1デスもしない経験者が1人、wikiで予習はしているけれど自信がない人が3人程、残りがまったくギミックに対処できない人間だった。自分はクリア前提でなくギミック理解前提でボス戦に挑んでいたので彼らが死んでも練習の機会が増えるだけだから何も問題がなかった。

野良募をして思ったことだが、やはり自分が参加者を取り仕切るというのは気分が良い。まず自分がホストとして「ミスを怒られるかもしれない」という可能性を完全に排除できるという点が素晴らしい。最高権力者は自分なので自分が企画のルールを設定できる。そもそも募集の段階で初心者向けと銘打っているのだからその時点でクリアが目的だけの人間は排除できるし、仮にそれを突破して文句を吐いたとしても自分がそれを諫めることができる。

そして初心者同士ボスのギミックを理解しようという共通の目標に向かって頑張っているという点も良かった。ずっとソロでやって来たからパーティ戦というものの面白さを強く実感した。2体のボスのうちの一方もパーティ戦が面白かったが、向こうは火力さえあれば最悪ギミックは無視できるという点で初心者に優しい設計だった。こちらはどれだけ火力があってもギミックを失敗したら意味がない。

この難所をまったくの初心者が経験を積んで乗り越えていくというのは見ていて気分がいい。自分が彼らに成長の機会を与えたことで、今度から彼らはこのボスを倒すことができる。もちろん自分がやらなくても結局誰かがやった(事実、この企画の発端は別の有志の活動に啓発されたものだ)と思うが、自分の存在が他者に良い影響を与えたというのはソロでは味わえない感覚だ(こう感じるのも学校教員が多い血筋か)。

この企画を立てた人間の責任として最低限自分ひとりでもギミック突破できる力量は身に着けていたが、それができていない人たちと練習することでそれができる機会がなかった自分に報いることができたように思う。また怒られるかもしれないという不安に怯えていた自分に対しても報いることになったのではないか。そう思えるのも自分が企画を立て募集をかけて運営するという力があってのことだ。不安に打ち勝つ勇気はその実力を行使して得られるものだということを実感した。怯えて何もしなければいつまで経っても不安は変わらないままだ。

ところで募集にかけた人間は誰も彼も良識のある人間だった。誰かがミスをしてもどんまいと言い、自分がミスしたときにはごめんと言っていた。何度か周回しているが、仲間のミスを責め立てる人間は誰一人いなかった。このゲームのことだからもう少し荒れるだろうと思っていたが、参加者は全員でうまくなろうと頑張っていた。これには少し驚いた。彼らのマナーの良さもあるが、皆このボスに対しては不安を抱いているからだろうとも思った。

また先ほど良いことばかり書いてきたが、実は仲間のミスを面白がっている自分がいた。怒りの感情はまったくなかったが、味方がミスをしまくる様子というのは滑稽で面白かった。こうした黒い笑いを覚えるのも自分の自信の無さに由来しているのだろう。失敗を過度に恐れるあまり、失敗を滑稽なものとして笑ってしまう。あるいは、他人は完璧ではなく失敗をする生き物なのだという事実が自分を笑いに誘うのかもしれない。