人生

やっていきましょう

知り合いが数年前の自作RPGを公開したので遊んだ。軽く見ていたが、結論から言えば自分の作ったクソゲーの何倍も面白かった。

この作品の面白さについていくつか語っていくと、まずはじめに会話の面白さが頭に浮かぶ。このゲームの登場人物はどれも「ゲームの登場人物らしい」人物だ。話したらヒントをくれる、どうでもいい情報を吐く、アイテムをくれる。これだけなら普通のRPGと変わらないが、それら全員がどれも作者の知り合いのように話しかけてくる。

この登場人物の作者の知り合いっぽさがこのゲームの面白さの核だ。実際にそこにいる知り合いと話しているかのような感覚があって、それがRPGの世界観とのギャップを生んでいる。魔王であれ、部族であれ、誰もが知り合いの●●さんみたいな感じで成立している。この世界観はやはり作者の人格の外向性がよく表れているように思う。

良い意味で軽い。自分がゲームエディタを開いてセリフを書こうものなら歪みに歪み切った内省を書き連ねることになる。そうしたセリフばかりになると、見る人を選ぶことになる。しかしこのゲームは人を選ばない。誰が遊んでもここで描かれる輪に入って楽しめると思う。

しかしよくよくこのゲームを見てみると、セリフの端々に相手に対する微妙な雑さが感じられる。この雑さを醸し出す悪意が人を突き放したような笑いを生み、そこが面白いと感じる。このゲームはただの慣れ合いではなく、ちゃんと作者の目線を通して作られた独自の世界観であることが分かる。

ところでこのゲームはストーリーやセリフばかりではない。自分が好印象を持ったのは、このゲームがゲームとしての純粋な面白さだ。

このゲームはHPの他にスタミナ値が用意されている。スタミナはダンジョン入場時や戦闘時、ギミックへの衝突等でマイナスにされ、スタミナが底を尽きると強制的にHPが1になる。ここに作者の悪意が感じられる。

自分のような頭の使わない人間はRPGでの戦闘と言えばとりあえず戦闘に突っ込んでエンターキーを押しっぱなしにする。最初は楽しめていた戦闘も最後の方には消化試合になり、時間の無駄なのでエンターキーを押してさっさと終わることを祈るばかりである。

しかしこのゲームではそんな甘えは通用しない。ふと気が付いたらHPとスタミナが1になっていて、それを知らずに戦闘に入るとなぜか先行で全体攻撃技を受けたり逃げられなかったりする。だからこまめにスタミナ値を管理する必要がある。この駆け引きの存在かゲームを格段に面白くしている。

ゲームのシステムも独特だ。猫を探すという目的で旅に出るのだが、ゲームでは猫を見つけるごとにレベルが上がる。その代わり戦闘では一切上がらない。だからダンジョンに入ったら猫はどこかと探すことになる。はじめは強力で逃げるしかなかったダンジョンの敵も、猫を見つけることで簡単に倒せるようになる。ここら辺のデザインが上手だと思った(猫が見つからなければずっと敵が倒せない、最悪猫を見つけさえすれば戦闘が要らないので、時間の無い人にもやさしい設計になっている)。

自分の作ったゲームというのは、ゲームというよりはノベルゲームに近い。ストーリーやセリフが中心で、ゲーム性は二の次だった(肝心のストーリーもゴミだ)。だからゲームとして面白いかと言われると微妙だ。自分が何かギミックを作ったとして、それを自ら生み出せたことに酔って終わりだ。そうではなく、このゲームのようにゲームとして面白くするためのもうひと捻りを自分は考える必要がある。

例えば自分のゲームの中には素材を買って別の場所で高く売るというギミックがある。これは初めての試みにしてはなかなかうまくできたが、このシステム自体に面白みは何もない。ただ金を得るために転売するという手段が用意されているだけである。ここで自分は、システムをプレイヤーに対してなんらかの形で不利になるようなものをいくつか設定すべきだった。例えば不定期に素材の価値が暴落して大損する、自衛力がなければ金庫から金が盗まれる、そのために策を講じて対処する。そうした駆け引きがあればゲームは面白くなると思った。

今回このゲームに触れたことで良い反省が得られた。自分のゲームに足りないのはゲーム性だった。ゲーム性が確立されていれば、ゲームは最低限面白いものになる。