人生

やっていきましょう

おそらく今の自分がストーリーの開発に躓いているのは、これまでの作風とは違った演出を試みようとしているからだ。

これまでの話はストーリーと冷笑がちょうどいい具合に共存していた。冷笑は自分の作品の基調だった。しかし今回取り組んでいるストーリーには冷笑が存在しない。パーティの分岐によって一方には冷笑屋が、他方には真面目なメンバーだけが集まり、見事に冷笑と物語が二分してしまった。

今自分が作っているのは、大真面目に物語をやってきた連中の話である。作っていて退屈で仕方がない。笑いの要素がないので何も面白くない。

これをどう面白くするか。多分重要なのは中途半端に冷笑に靡かないことだ。冷笑を抜きにして面白い作品を作る。少なくとも今作っているこのシーンだけは。

冷笑を弱めた前例としては第三章が挙げられる。これは冷笑一辺倒だった自分の作品に対する否定を試みたものだった。ここで自分は、笑いは冷笑以外でも表現できるということを学んだ。ここでも同じように演出を考える。

今一度第四章のテーマを見直す。第四章は相互不信の群像劇である。第三章で表現出来なかった様々な派閥の対立を、ここでは実現したかった。冷笑の不在、仲間同士の相互不信、この二つをいかに調和させるかがこのシーンの鍵だ。

この調和が難しい。それは表現の難しさというよりは、いかに表現しないかという難しさである。

確かに丁寧に描けば自分の表現したいものは表現できる。しかしゲームの性質上、あまりにもイベントが長いとつまらなくなる。適度にゲームプレイを挟む必要がある。

互いの不信感を演出しようとすると、やはり3つほどのシーンは割きたくなる。だがそれだとテンポが悪い。反対にシーンを割かずに話を進めると、自分の描きたいテーマがまったく表現できないで終わる。

1番良いのはゲームプレイの結果としてひとつのシーンが始まり、それから次の展開(ゲームプレイ)へと進めるという形にすることだ。それが自然な流れを生む。これを二つ用意する。この二つで物語の核心に触れる。

おそらくこのダンジョンとその後の演出次第で全体のまとまりが良くなる。だが自信がない。本当にまとまってくれるのか?それは作ってみなければ分からない。