人生

やっていきましょう

ようやくひとつのまとまったストーリーが完成した。その中で気づいたことがあるのでここに書き残す。

第一に、物語の違和感を生み出していた原因は、自分の連想をそのまま形にしようとしていたことにあったということだ。調子のいい時はそれで良かったが、不調の時は連想が定まらず展開が不安定になる。

例えばAとBが対立しているシーンでは、なぜ彼らが対立しているのかという背景をあまりよく考えていない。連想の結果対立というシーンが浮かび上がり、それが面白そうだったから場面を描く。特に根拠はない。

展開ありきなのだ。初めにキャラクターの性格、目的、動機、思考の傾向を頭に入れて考えているわけではない。まず展開の連想があり、それを正当化するためにキャラクターを設定している。人物は展開を正当化するための道具でしかない。

これが間違いだった。展開の連想からではなく、人物の設定からストーリーを膨らませるべきだった。登場人物を深堀りし、この人間がこの状況に置かれてれいたらどうするのが自然かをまず考える必要があった。

第二に、自分の連想は常に連鎖の形を取るわけではないということ。先程の例もそうだが、ある完成された独立のイメージが突然浮かんでくることもある。だが自分はしばしばそうした連想をそのまま時系列順に繋ぎ合わせてしまう。

これも間違いだった。初めはそれで上手くいくが、段々と辻褄が合わなくなってくる。連想は前の連想の一部から導き出されるものだが、必ずしも合理的な必然性を伴わない。連想を信じて繋がりを近視眼的に追っていたら、森に迷い込んだように同じところをぐるぐる回るだけになる。

自分は連想を連なりとしてではなく、個別のイメージとして捉える必要がある。個々の連想を前述した人物設定と混ぜ合わせ、またストーリーに沿うよう並び替えることで、より一層完成されたものにできる。事実それがストーリーの迷走を打開するひとつのきっかけとなった。

連想は編集とセットで考えなければならない。とにかく連想一本で完成させようとするが、それでは連想の森から自力で抜け出せない。