人生

やっていきましょう

本来なら常に未知の情報を取り入れて自分なりの答えを出しながら理解の範囲を増やしていかなければならないのだが、自分はある時期から理解を放棄して、何も吸収しなくなっている。

理解を放棄すると、人は置かれているままの状態になる。よく知らないことについてはよく知らないまま放置される。不安なものは相変わらず不安である。

自分はもう何も学んでいない。意欲が死んでいる。今はまだ過去の遺産で生きているが、いつか自分はとんでもなく無知な人間になると思う。もう既にそうなりかけている。何も知らない。だが知ろうともしない。

知的好奇心というものがある人間を羨ましく思う。知り合いは博学であることに貪欲である。別の知り合いは今でも当たり前のように勉強している。自分が最後に何かを学んだのは1年前のTOEICだけで、以来何も新しいことを学習していない。

自分は自分の劣等感から勉強していた人間で、知りたいから学ぶということをあまりしたことがない。だが本来はそうするべきなのだろう。他人と比較して不安になって、自分のキャパを超えた無理をしてようやく追いつくということを繰り返していると、糸が切れた時にもう立ち上がることができなくなる。今の自分がそれだ。

自分は今でも劣等感から焦っているのだと思う。自分が選択の主体ではなく、劣等感が選択の主体である。数年間劣等感を抱かないよう無理な努力はしなかったが、どうしても劣等感が湧いてくる。

長く付き合っていくしかない。自分は劣等感から解放されることはない。それは誰にも解決できない。だから出来るだけ、自分の劣等感を抑えようと思う。自分を確立し、自分が選択するということができるまでは、彼らのような意欲の主体性を持てるなどとは期待してはならない。