人生

やっていきましょう

APEXをやる時、自分は初期設定に異様にこだわっている。視野角70、クラシック、感度は3-3、キー配置はデフォルト。この数年間で一度も変えたことがない。

結果自分は戦闘が明らかに弱い。今シーズンのキルレートが0.6でかなり酷いものだ。しかしそれでも初期設定にこだわる。初心者と同じ設定で不利な条件で勝つことに価値を見い出していたからだ。これでは試合に勝てなくて当然である。自分はこだわりが強すぎる。

こだわりと聞いて学生の頃の時を思い出した。自分は答えを見るということがどうにも悔しかった。だから復習の時には自分が納得するまで何時間でも考えた。馬鹿だと思う。賢い人間はすぐに答えを見て5分で復習を終える。あの時と同じだ。自分は自分のこだわりを絶対妥協しない。それが無駄だと分かっていても、そうせざるを得ない人間である。

しかし戦いにおいて勝敗に繋がらないこだわりというのはただの足枷にしかならない。武士の名誉にかけて刀一本で挑んだ侍は、新政府軍の銃火器の前に倒れた。ヒッタイトが世界に示したのは、青銅は鉄に勝てないという事実だ。装飾は実用に勝ることはない。

戦いとは勝つことにどれほど貪欲になれるかということである。強い設定、強い武器、強いレジェンド、強い立ち振る舞い、それらを吸収し、自分のものにし続ける人間が強くなる。勝てない人間はその点の理解が浅い。視野角70など明らかに狂気の沙汰だが、こだわりというのは実利を盲目にする。

ゲームひとつを取っても自分の生き方が表れている。自分は勝つために手段を選びすぎる。いやそもそも勝とうとしていない。独自性の追求のために自分自身を不利にする。それで奇抜なパフォーマンスをする。勝てるわけがない。ある程度のレベルまでは通用するかもしれないが、どこかで壁に直面する。

自分は環境が見えていない。直感が導くならば、自分は荷物を持たずに冬山に行ってしまうかもしれない。それくらい馬鹿である。こうした人間になるまいと思って賢く生きようと頑張ってはいるが、自分の本質は何でも手堅くこなせる秀才ではないのである。

自分は敢えてピエロを演じているわけではない。奇抜であることを本能的に求めてしまっている。そのために勝利の栄光や名誉を捨てる人間である。しかし同時に、自分が人の道を逸脱して狂気に陥るまいと必死に歯止めをかける自分がいる。そのふたつがせめぎ合って今の自分がある。だがそのために自分の心が壊れたというのも事実である。

世間に適応しようとして自分の奇抜さを貶めていたら、すべてに意味はないという虚無主義に陥って独自性への追求はようやく止まった。これでようやく世間に適応できると思っていたら、今度はすべてのことに無気力になってしまった。

ただapexでは、せめて自分の本心に従いたいという思いがあった。初期設定にランパート、愛用武器は最弱のp2020、強キャラは今でも解放していない。

観察するとよく分かるが、自分は原初への退行というものに強く惹かれているようだ。自分がapexで初期設定を使うのは、それが初心者を象徴するものだからだ。ランパートを使うのは、ランパートを選ぶような雑魚はゲーム経験の浅い弱者だと相場が決まっていたからだ。実はランパートの前にはライフラインを使っていたが、それは初心者向けの操作説明でライフラインが使われていたからだ。p2020は少し勝手が違う。独自性への追求という面もあるが、実は視野角70でクラシック3-3だと他の速射武器よりも当てやすいという実用的な理由がある(それでもr99には及ばないので、武器くらいは基本は戦えるものを選んでいるが)。

自分は初心者になりたいのだと思った。退行願望である。ランパートのキル数15000、勝利数900に達しても未だ初心者であろうとしている。大きな子供だ。側から見れば狂気そのものでしかない。

自分は勝つためにホライゾンを使うべきだろうか。最強感度を追求して最強のプレイヤーを目指すべきだろうか。別に無理をして変える必要はないと思う。ただ設定が理由で辛さを感じるようなら、もう変えてしまってもいいかもしれない。