人生

やっていきましょう

オンラインゲームのボス攻略を調べていると、無敵スキルについての解説が書かれていた。回避が難しく致死率の高い技(特に拘束技と即死技のコンボ)は無敵スキルを用いて対処することが望ましい。

その時の文言が妙に頭の中に残っている。ピンチの状態で無敵を用いても「大抵は手遅れ」というものだ。スキルを発動するのはその前で、ピンチになりそうな時を予測して発動しておく。そうすると安定して避けられると書いてあった。

自分の感覚からすればそれはもったいないと感じる。短い無敵時間を無駄にして余裕を持たせて何の意味があるのかと思う。しかしよく考えると、この発想の方が正しいということに気がつく。言われている通り、ピンチになってから発動するのでは遅いのだ。

これは次のように言い換えることができる。危険な状況に陥った時に動き出しても既に手遅れ。そうなる前に準備をしておき、いざそうなった時に素早く適応できるように先手を打つ。

例えば山に登る時、急な天候の変化で不意に雨に打たれたのでは遅すぎる。予めかっぱを持参しておき、曇りが出てきたら素早くそれを着る(もしくは最初から着ておく)。そうすることで、雨に打たれた時に無傷で済む。あるいは試験の問題に勉強していないところが出たのでは遅すぎる。そうなることが予見できているのであれば、その分野について予習しておけば試験に出たとき対応しやすい。

Apexで毎回イラつくのはなぜなのか。いくつも理由があるが、結局のところ不意に自分が不利な状況に陥って、あたふたしているところを仕留められたことが原因である。なぜ不利な状況に陥るのか。行き当たりばったりでゲームを進めていて、そうなる前に打つべき手を打たないでいたからである。窮地にパニックに陥っている時点で既に負けているのである。撃たれてから対処しようでは遅いのである(ホライゾンの速攻を思い出すがいい)。そうなる前に自分から仕掛けるつもりで行く、あるいはそもそも危険地帯に立ち入らない。そうした自覚が持てていれば、不意に襲われることはないだろう。

自分は計画というものの解像度が低い。自身のワンダーを刺激するのは無計画の中から生まれる驚嘆である。敢えて何も計画せず突き進むと、行き交うものすべてが驚きに満ちてくる。だがこうした退行的なふるまいは実社会では何の意味も持たない。

これまでの人生の中で、自分の行動は大体ワンテンポ遅れていた。悪い状況になってから悪い状況について考えるような始末だった。なにもかもが遅すぎる。Aとくれば次はBとなると予測していれば、いざBが来たときにCという対処をスムーズに行うことができる。おそらく優れた人はそれをイメージできている人間なのだろう。

予め計画しておき、起こりうる危険についてそうなる前から予防するということを自覚的にやってみようと思った。予測や計画というのはただなんとなくやっていくものではなく、予測不可能の混乱に落ちて何をすればいいか分からなくなる(そして結局は失敗する)という状態を予め回避するための知恵であるということを自覚しておきたい。