人生

やっていきましょう

他人が話している内容に対して、自分が面白いと思うような返しをするのはよくあることだ。ただしその関心が閉じたものであるということ、つまり自分を笑かすために自分に向けて発せられるような自己完結的なネタを盛り込むと問題になる。面白いと思っているのは自分だけで、他人から見ればなんだこいつということになる。

もとより自分の考えにしか関心がないような人間だから、ともすれば他人の関心を無視しがちになる。しかし会話というのは相互のキャッチボールであり、たとえ自己完結的な動機があるにせよ、少なくとも形の上では意思疎通を図るべきだ。完璧である必要はないが、相手の考えや関心、感情を取り入れる努力はした方がいい。

どうでもいいことだがひとつ成功した例があった。オンラインゲーム内でプレイヤーイベントがあり、クイズアプリを使って対戦する機会があった。

さて始めようという時に難易度はどうするかという話になった。自分は即座に最高難易度(Aランク)を主張した。といってもこれは一種の冗談のようなものであり、みんなが分からない問題に阿鼻叫喚、悪戦苦闘する方が面白いだろうという企てだった。

しかしこれを言った後に数秒間微妙な空気が流れた。この意味は自分にも分かっていた。「積極的には支持できない」だ。これには自分には思い当たる節があった。まずこのイベントの参加者は一般プレイヤーが多かった。クイズに慣れていない層も多く、クイズが苦手だというコメントも多かった。だいたい一般的に言えば周囲のレベルを計るために様子見のB、もしくは初心者に気を利かせてCから始めるのが妥当である。初手からAを提案するのは状況をわきまえていない。

それを分かっていながらなぜAランクを主張したかというと、要は自分がボケをかまし、その非常識に対するツッコミが欲しかったからだ。こういうノリは身内にはどこか暗黙的に解されているようで、大抵却下されて終わるというのが常である。しかし今回は誰からもツッコミがなく、自分がただの自己中心的な異常者であるかのように認知されたように感じた(想像だが、身内からツッコミがなかったのは一般プレイヤーがいるということが理由であるように思う。確かにクイズが苦手なプレイヤーもいたが、クイズに野心的な人もいたのだ。この時点でAランクはバカのやる提案という身内に通用していた文脈が拡散し、本気でクイズをやるための提案としても通用するようになってしまった。それで知人はAランクを強く否定できなくなってしまったのだろう)。

ここで自分は咄嗟に「多数決」を提案した。これが偉かった。この発言を機に凍った時間が動き出し、Bランクを希望する意見が溢れてきた。自分は執着などなかったから簡単に寝返った。その後イベントはスムーズにことを運んだ。

人が集まって何かをする時に、悪気もなく自分の意見を通そうとする人間がいる。また身内のノリを自分と遠い人たちがいる場所でひけらかし、そのことに反感を持たれる可能性を考慮しない人がいる。どちらの人間も見たことがある。そしてそれは当然ながら誰かしらの反感を持たれている。

自分はその両方の要素があることを自覚している。そしてそれはおそらく自分の本性である。自分は自制していなければ、他人を無視して自分の関心をずっと話していたいというオタクである。その性質を無理矢理変える必要はないが、少なくとも他の誰かがいる場では彼らを生かすことを学んだ方がいい。