人生

やっていきましょう

自分が考えたゲームのセリフを読み返すと本当につまらない表現だと思うことがある。作っている時はちゃんと向き合っているのに、いざ読み返すと面白くない。

これは何度も言っているが話の面白さよりも情報の伝達にフォーカスをあてているからだ。メモに何を語らせるかをまとめてその通りに話させる。だから話は報告的になり退屈になる。

面白さとは何かについて現時点での理解を記すとすれば、それは自由な脱線である。例えば口論に入って互いを罵倒し合っているシーン。自分は基本的にバカだのグズだののろまだと言わせているがこればかりではあまり面白くない。それらは最も端的に相手の人格を否定する表現であって表現としては直接的すぎる。

ではどうすれば面白くなるかというと、罵倒に逸脱を含ませる。その人間の文化的背景、所属、思想、身体的特徴、個人的な劣等感、不安を観察し、他の人間でなくその人間個人の人格を否定するような具体的な言葉をさらりと言う。そのようにして発せられた罵倒は常套句で埋め尽くされた定型的な罵倒よりは遥かに独創的で面白くなる。

逸脱を生み出すためには、骨組みと肉付けを分けて考える必要がある。骨の部分は「NPC同士が罵倒し合う」と端的に書くとしても、それをどのように表現するかというhowの部分は、端的な罵倒にとどまらずあの手この手を使って自由に描いてよい。それが面白さを生む。

今回この逸脱による表現を1つ生み出すことに成功した。そのおかげでそれまで死ぬほど退屈だったこのシーンが10倍も面白くなったと感じる。